食べてるもので人間は作られるのかもしれない
某しない小学校で食育の授業の依頼があった。
5年生家庭科 五大栄養素ということだったので、単元の中のどこで、どんな指導に入ればいいのか、学年主任に連絡をした。
そうしたら、結局特別活動の時間で1時間まるなげで授業していいとのこと。実態を教えていただき指導案をかくことになった。
指導案を書いて送ったら、その学校の食育主任から、今まで通りでいいとお怒りの電話がきた。
今まで通りって、コロナの前になるから3年以上前。一緒に授業やるのに指導案もいらないってどういうことなんだろう。
印刷物も確認しないで刷ってきてくれと言われた。
別にいいけど。
なんだかもやもや。
おそろしいことだわ…と思う。
結局送った指導案も、担任の先生におまかせしたいところを消し込みがあり、他の栄養士宛で返ってきた。
ただでさえまずい給食を作るという行為で憂鬱なのに、これ以上憂鬱の種を増やさないでほしい。
とりあえず、授業は楽しく終わりたい。
でもそういうイライラ人間を作っているのはまずい給食のせいなのかもしれないと思うと、それなりに責任を感じる。
だからといって、この環境ではどうにもこうにもできないのだけど。
ホント憂鬱。
某小学校の食育主任も5年の主任も死ねばいいのにっておもう。
思うのは自由だ。
シェア
コメント
ログインするとコメントが投稿できます
- y.kato-channel
味覚と感度、
読ませてもらいました!
面白かったです。
コメントを書いたので、
よかったら
読んでください!
ファン登録もしました!