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裏 鬼十郎

うら おにじゅうろう

たまに変な小説を書きに来ます。

テスカトリポカ読み終えて

1回目読み終えました。
海を渡ってなされる犯罪と暴力の絵巻、凄かった。

読んでてすごく思ったのは、「生存競争が行き過ぎると悪になる」ということ。
主人公コシモは無害な人間だが、危害を加えられると過剰なまでにやり返す。
神永という医師は本来命を救う善性を持つ臓器移植をビジネスとして成立させるが故に真っ黒に染まっているし、バルミロは生きるための宗教、家族という概念をさらに鋭くさせ過ぎる故に行き過ぎた残虐性を持つ。
これらの登場人物に共通しているのは、行き過ぎた生への本能だと、私は思う。

ものすごくそれがかっこよく見える。サバンナで生きる野生動物への憧憬と、感じるものはあまり変わらない。ただただ、乾いた弱肉強食の理論があるだけという単純明快さは、この作品の、複雑な国際事情やアステカの神々とオーバーラップする人間たちの営み、関係性に隠された魅力だと思う。
かなり、王道を行く本筋を覆い隠すように、リアルな悪の組織的暴力のあり方や、悪党の緻密な人物描写が繰り広げられる。

著者はテレビではプロレスのみを観て育ったと文芸春秋の直木賞受賞者同士の対談か何かで言っていたし、誰かがこの作品を勧善懲悪ものと呼んでいたが、プロレス的な勧善懲悪や神性を帯びた暴力者という存在はプロレスのやり方であり、ところどころ太字で書かれるファミリアのコードネームとコードネームの持ち主の紹介的な文章はまるでプロレスのマイクパフォーマンスに似ていて、どことなく煌びやかでエンタメ的である。そういうところをプロレスから知らず知らずのうちに学んでいるような気がする。

また、文学的な位置付けとしては、この作品は資本主義というシステムによってこの世界と繋がっている。人体には、それがかつて人であったという理由から、とてつもない値が付き、海を渡り金と引き換えにされる。悪は、普通の世界と地続きに展開されているのだという衝撃。頭を殴られるような感覚がした。
競争を徹底すれば、資本主義というシステムは潰し合いになる。人間の体にまで手を出せば、善良な物々交換システムは弱肉強食の地獄絵図へとその姿を変える。
そんな極端化した世界を受け入れるためにバルミロは彼の祖母が聴かせたアステカ神話を母体として暴力を正当化するオカルティックな儀式を作り、コシモはある時をきっかけにその欺瞞に気付き、儀式的な意味でも心理的な意味でもパードレ(父)であるバルミロに反抗を始める…

直木賞と山本周五郎賞という、二つの賞を受けるに相応しい作品であると思う。

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