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裏 鬼十郎

うら おにじゅうろう

たまに変な小説を書きに来ます。

才能とは何か

才能とはなんだろう、って、時々考えます。
人間は、遺伝子や家庭環境、見た目によって、ある程度生き方が決められてしまう。
そんな中で、自分であり続けること、自分の出来ることを極めることが才能なのかなって思います。

自分を知らないと自分じゃいられない。
私は昔声優になりたかった。けど、多分それは自分本来の姿と違っていたからなれなかったのだろうなと思います。

自分って何なんだろう。
それをずっと考えてます。
ペンギンがサバンナじゃ生きられないように、自分も合わない環境にいたら、ダメになってしまう。ペンギンなら北極ですね。
自分にとっての北極がどこなのか、どこに行けばそれなりに才能を奮えるのか、日々考えてます。

才能を磨くのも大事だけど、それも大事だなと最近思います。

私は容姿も取り立てて良くはないし、もう若くないし、お金もそんなに稼がないし、人付き合いが上手いわけでもない。

それでも文学ならやっていける気がします、それなりに。
身なりに関心がないから見た目も良くならないし、若くないからもう手当たり次第に色々やれるわけでもないし、お金がないから他人がしないような経験もできないけど、文学だけは、書きたい欲求だけは変わらないし、確かにあるんです。 

ペンギンにとっての泳ぐことみたいなもので。

才能について自分なりに答えるなら、「メンタルを病まずにやれるかどうか」なんだと思います。
好きで、楽でやれるかとか、どれだけ楽な気分で人がやらない量をこなせるかなのかなと思います。

知り合いにプロとしてBL作家デビューした方がいましたが、本当に常人ではやれない量の作文をこなしていたので、そう思います。

多分楽しかったんでしょう、作文が。

すごいなぁと思いました。

自分は精神病を患っていてストレスに弱く、多分、書いたものを出版社に拾ってもらえるようなことはないだろうと思いますが、お金を頂いているので仕事はちゃんとやりたいです。

時々野望が暴走して焦ってしまうのですが。

自分の才能の器を測るのも大切だなと最近思っていて。
広く知られなくても、一隅を照らすぐらいでちょうどいい。

自分の中に囚われがあって、どうせやるならば広く知られないといけないと思い込んでいた時期もあったのですが、最近はニッチな需要に応えるのも意味があるなと思えてきました。

まさに今やってることですね。
このまま飽きるか死ぬまで、ニッチを極めていきたいです。
それが自分の才能と信じたい、、

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