アニメ「氷菓」視聴中
「#真夏の悪夢」を書く際に検索でヒットしたアニメ作品で、京都アニメーションの傑作。
原作はKADOKAWA作品なのでコメントの披露を許して欲しい。
話は好奇心が強烈に行き過ぎというか、気になることに異常とも言うほど執着する名家のお嬢様美少女ヒロイン。
彼女が廃部寸前の部活に行き掛かり上関わることになった”怠い主人公”(高校生男子)に謎の解決を強引にせがむお話。
身も蓋もなく言うとそういう展開。
日常系の不思議を他の2人の掛け持ち部員と共にっていう事で、殺人事件は起こらない〜「人の死なない」ミステリー。
ーーーなんだけど…コレ「意味がわかるとゾクッとするお話」でないかい?
確かに人は死なない
でも、個人の尊厳の圧殺、無意識下での悪意とか、善意の仮面を被った冷酷さとか、未必的故意案件。
ウジャウジャでるわでるわでるわ……
どうしても大人の視線で見てしまうからそこが悲しい所なんだけれども。
完全に悪意とも言いきれないし、かといって純粋な善意とも絶対に言えない仄暗さが痛々しいほど美しく、「これぞ京アニ!」な眩しすぎる美しすぎる映像に濃縮されていた。
大体、純情な古風なルックスのヒロインがどうしてここまで好奇心に目を輝かせるのか?
それは多分、ぶっちゃけてしまうと周囲が、この子に見せたくないもの醜い物をかなりの部分遮断
「あなたは知らなくっていいのよ」として、柔やかにお茶を濁して来たからだと思う。
「聞かれた事しか」情報を与えない
本音として「どうせこの子(お嬢)に言ったって理解出来るわけ無いし?」「説明するの面倒くさいしね」が絶対あるわけで。
自分の年齢になると、流石にそうした大人の打算がユラユラ作品中透けて見える。
こうした態度を傲慢、悪意と解釈するか?
それとも純情な子どもの豊かな柔らかい心を護る為のれっきとした善意ととるか?
正直とても線引き、判断が難しいと思う。
「わたし気になるんです…!」だったかな?
人任せにせず自分で少しは考えろ、ちゃんと人の話を聞け、頭に二つくっついてるのはソイツは餃子か?とイラッと時折しないでもないけれど……
大人達や周囲が十重二十重に張り巡らせた見えない檻から伸びやかに
類い希な好奇心という成長力(武器)で自身の考えを獲得しようとする姿は素直に応援したくなる
今、賑やかな文化祭のお話を視聴中
このハッピーなシーン、コロナ下の中高校生が見ると垂涎の的で羨ましい以外何物でも無いそうだ
現代ミステリーで定番、叙述トリック。
これはビクトリア朝のホームズ先生の頃は存在しない考え方で、アガサ・クリスティーの時代になって初めて現れたテクニック〜と、作中のシャーロッキアンを自認する人物の指摘に
「はっ…言われてみれば…!」
ーーー気が付かなかったなぁ
ご馳走様です大変勉強になりました♪
シェア
コメント
ログインするとコメントが投稿できます
まだコメントがありません