島たけや

しま たけや

 三十年近く活動したスポーツの終焉。伝説の仲間を振り返り、人生の意義と身体の意志を未来に模索する。“ふるさとは遠きに在りて思うもの…”と今を生きている。  島たけやの不思議な出逢いの始まり、それは2006年暮れの事だった。父を亡くしてから色々な巡り合わせに遭遇する。これも包まれた愛である。

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Nippon代表サッカー

  念願の金を2021年に長い道のりであったと思えるような試合内容である。
私事であるが、東京三多摩大会で優勝した経験がある。チームは一試合対戦するごとに強さと一丸の戦力で集中力が益した。戦(いくさ)のように個人が犠牲になることない。その時の状況判断と戦術が一人々に伝わりチーム一丸の完成品である。その頃、町田市の白頭山(朝鮮チーム)クラブチームで強さが知られていた。私個人は初めての経験で知らないが対戦することが決まった。1984年頃と記憶にあるがもう忘れかけている。冬の大会で東京三多摩地域のクラブ代表が開催する市代表トーナメント4試合で決勝と記憶する。市の代表クラブチーム【保谷スターライトFC】の優勝を初めて経験した。
 その後、現役で30歳過ぎまでプレーして少年サッカーの指導を始めた。今回のオリンピック代表が勝利すること非常事態の危機感が日本人を強くしていると判断する。私も65歳となり最後の強靭なスポーツマンの夢を見たいものです。
 決勝戦をみたいですね・・・釜本さん(来島ありがとうございました)

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