島たけや

しま たけや

 三十年近く活動したスポーツの終焉。伝説の仲間を振り返り、人生の意義と身体の意志を未来に模索する。“ふるさとは遠きに在りて思うもの…”と今を生きている。  島たけやの不思議な出逢いの始まり、それは2006年暮れの事だった。父を亡くしてから色々な巡り合わせに遭遇する。これも包まれた愛である。

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離島の悲劇

 今晩は、久々に通信が生きていることで記録できますが南およそ300㌔海の孤島です。都市かしてメンテナンスは都市部と同等の予算で役人たちが知恵を絞り経済を支えています。
 今日のテーマ「悲劇」ですが、情報量は同期ですが質の問題でアナログ放送が主で伝達されたことに柔軟性がありません。デジタルは電気製品や一部の回線速度で同等のように錯覚していることが多いです。例えば、郵送(輸送関係)について船便、航空便(人の移動も含む)などアナログ中心です(防災無線で放送)地震や災害を伝達することは困難です(停電)。 このようなブログや通信はデジタルで更新出来ますが、双方向の通信網と画像などはまだ確認できますが、直接関係することは移動が必要になります。オンラインの仕事も病院設備を例にしてもとても難しいと考えます。
 コロナも隔離しなければ島民に観戦すると予想しますが意識の問題もあり離島の限界でもあります。この離島は300㌔、小笠原諸島は1000㌔、東京はどのように対応するのでしょうか疑問です。日本列島は、都市部以外の島々「地域包括支援センター」などと総合的な枠組みで表現するようになりましたが誤魔化しであり直接担当に人が対応することはないし設備も不十分であることを理解していないのです。
 日本列島の国民であることを意識して積極的に社会を変えることが必要です。このままではNipponは貧しい社会になるでしょう。今日は終わります・・・

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