島たけや

しま たけや

 三十年近く活動したスポーツの終焉。伝説の仲間を振り返り、人生の意義と身体の意志を未来に模索する。“ふるさとは遠きに在りて思うもの…”と今を生きている。  島たけやの不思議な出逢いの始まり、それは2006年暮れの事だった。父を亡くしてから色々な巡り合わせに遭遇する。これも包まれた愛である。

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喪に服す期間

二年と一ヶ月(25ヶ月)喪に服すことであった。九月十七日終了(忌み明き)であるが、両親の実家と新居二軒を守ることが出来ないであろう。両親はお金持ちで一代で築いた郵便事業を継承する姉があとは守るであろうし、私個人は財産もない貧しい町民である。ただ、両親を看病と介護で費やした日々を満足している。過ぎた日々は、幸せな時間であり家族の一員であることを証明したようでとても良い時間であった。現実は、介護保険とか家族ではない経済生活がスタートしたNipponの社会はコロナの心と同じ感染が拡大して社会は混乱している。個人的には生活して残した過去の家は畑、育てた動物植物も生きているのだ。人間の心が残る場所である。墓を仏にした日本の文化は、あまり好まない自分の心情と信仰が違いを感じている。真面な仏法はない・・・Nipponの社会は心あるところから生活と福祉の社会を見直すことが学問的に良いのではないでしょうか・・・

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