弄月鬼、二章・第七話
*江戸時代の、お風呂事情について〜
江戸時代、内風呂がある家は大変めずらしく、大半の人々は士農工商の区切りなく、公衆浴場(銭湯)を利用していたようです。
家でお風呂に入ろうと思ったら、大量の水と値のはる薪を必要としますから、経済的な問題が大きかったんでしょう。
公衆浴場は、京では『風呂屋』江戸では『湯屋』と呼ばれていたんだそう。
江戸は土地柄的に強風が吹いたりして大層ほこりっぽく、湿気のせいもあってすぐに全身ほこりまみれになってしまい、江戸の人々はそれを嫌って足繁く湯屋に通う、大のお風呂好きであったとか。
仕事前に朝風呂、仕事終わりに夕風呂、一日に二回入るなんてのはざらで、下手をしたら日に4回なんてことも⋯⋯。肌が、カサカサになりそうですね。
それとは逆に、髪は一月に2回くらいしか洗わなかったようで、湯屋では大量の湯を使う洗髪は禁止されていたもよう。
夏場なんかは、もう少し頻繁に洗っていたようですが、湯屋で洗えないとなると家でタライに湯を張って洗う他ないわけで⋯⋯
ガチガチに固められた日本髪の油と蓄積された汚れを、シャンプーも無しにきれいさっぱり落として、長い長い髪をドライヤーもなしに乾かして、乾いたらまた時間をかけてセットして__なんて、書くだけでうんざりしそうな工程を、大変な労力を費やしてやっていたんですから、そりゃ洗髪の頻度も減ろうってもんですよね。
その点、髪を結っていない風間さんや美月は、内風呂がある事も関係し、結構な頻度で髪を洗っていると思われます。美月には白兎とゆう、髪を手入れしてくれる従者もいますし。
お姫様の身の回りのお世話は本来、侍女や女中の仕事なんですが⋯⋯白兎、かなり手慣れてます。もはや、姫の事なら何でもござれのプロフェッショナル。
美月も白兎に世話を焼かれるのに慣れているので、若い女の濡れ髪や火照った肌が、男にどんな作用をもたらすか、まるで自覚がないわけです。
今回、白兎はあたかも、風間さんの暴走は美月の無自覚のせいみたいに言っていましたが、それは違うんじゃないかと思ったり思わなかったり⋯⋯。
あまりに無粋な話の流れになってきたので、今日はこの辺で失礼します。
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