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むにえな

猫に餓え渇く者は幸いである。
その者は満たされるであろう。

猫は仕えるためでなく仕えられるために来られた。
天の国は猫のような者のためにある。

私たちではなく、猫よ、私たちではなく、御名が尊まれますように。

勉強って難しいね

エスペラントって人工言語がありまして。国際補助語として使われることを願ってザメンホフという人が1887年に発表しまして。普及率は低くて(人工言語にしては破格の成功だけど)世界で100万人ぐらいの使用者か、とか言われてるね。

エスペラントを勉強していると「もっと使える言葉を学んだら?現実を見なよ」みたいなことを言う人もいるんだけど、私は「人工言語?誰かが作ったの?なにそれかっこいい私もやる!」で始めて秘密結社の暗号気分で使ってるのだ。英語話者が思いもよらないほど子どもっぽいのだぞ。甘く見てはいけない。

そんな私は子供の頃にエヴァのアスカに影響されてドイツ語を独学した。「いつ弐号機に乗せられても大丈夫なように」と考えて。あの熱意はなんだったのだろうという気もするけど私は元からそんなノリで生きてきてた気がするなぁ。もちろんラテン語は「魔術師のたしなみ」だね。かっこいいじゃんラテン語。最近は1年3ヶ月ほどかけて聖書の通読もした。聖書に強く興味を持った最初のきっかけはゲームのnarcissu SIDE 2ndだった。カトリック系のホスピスを扱ったゲームでねぇ。これがまたよくて。考えてみればタロット占いを覚えて今でもたまにやってるのはジョジョの3部がきっかけだったな。「かっこいいカードだ仕組みが知りたい」とかなんとか。もちろんちゃんと波紋の呼吸を訓練して吸血鬼と戦ってたし、傘を持てばアバンストラッシュを放って魔王に立ち向かう子どもでもあった。私がもっと若かったら悪魔の実を食べたり水の呼吸を習得していたな。成長して変わったのはおもちゃの値段だけかもしれぬ。

私もたまには経済的な実用性のある資格でも取りたい気がするんだけど金儲けの役に立つ勉強って気乗りしないんだよね。FPとかすぐ挫折してしまった。FPは実用性がありすぎる。もっと遊びでやりたい。というわけで現在はせっせと法華経を読んでる。そろそろ左手が鬼の手になったり妖怪に刺さった獣の槍が手に入るのかな。それより先に神罰と仏罰が下っていてもおかしくないが。英語を勉強したほうがいいのかなとインストールしたDuolingoも今はスワヒリ語とかをやってるしなぁ。違うんです。「むにえなってスワヒリ語とかやってたよね?」と言ってくれた人がいたので「その勘違いを現実にして差し上げましょう」と思ったんです。まあ、設定を英語にしてとっくにいろんな言語を学んで遊んでたけど。英語って便利だね。

「1円のお金にもならない勉強なんて子どもの習いごとと一緒だ」と言ってた行政書士が私を見たら珍獣にしか見えないんだろうなぁ。私からすると、自分の思うがままの関心を超えて金儲けの勉強をできるほうが遥かにすごいことをしていると思うのだが。それが趣味なのかしら。まあ、私も行政書士は取ったけど。勉強になって楽しかった。ついでに流れで宅建士も取ったけどこれは遊びでやった。「相対評価の試験なのに遊び半分で高得点を取るな」とか怒られそうな気もするけど、私は遊び半分じゃなくて完全に遊びでやったので。

そういうわけで私は謎の立ち位置にいるわけです。私には他にしようがないのです。神よ、助けを与えたまえ。アーメン(熱い無茶振り

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