伝言
お釈迦様が悟った時につぶやいた言葉を立正佼成会の人が教えてくれたけどその言葉が残っているということは(悟った時はひとりだったのだから)お釈迦様が思い出話を言いふらしてたのだろうな、と思うとお釈迦様もかわいいところあるやんと。後世の創作の可能性もあるけどお釈迦様の自語り説がいいな。
ちなみに「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな、如来の智慧・徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以ての故に証得せず」なんだとか。へー、その時のお釈迦様は何語でつぶやいたんだろう、などと妙なところに食いついた。
のでそれをAIに聞いてみた。
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お釈迦様の悟りの時の言葉にそういう解釈をするのは、なんだか親しみが湧いてきますね。「奇なるかな(なんと不思議なことだ)」という表現からして、お釈迦様が心から驚きと感動を覚えた様子が伝わってきます。そして、その言葉が後世に伝わっていることから、「自分で話したんだろうな」と想像するのも微笑ましいです。お釈迦様が信者たちに「実は悟った時、こんなことを思ったんだよ」と語る姿を思い浮かべると、とても人間味がありますね。
何語でつぶやいたのか?
当時、お釈迦様が使っていたのはマガダ語(古代インドのプラークリットの一種)か、あるいはその近い方言だったと考えられています。お釈迦様は、一般の人々に教えを広めるために、当時の学術言語であるサンスクリットではなく、庶民が話す方言を使って説法をしていたと言われています。このエピソードもまた、お釈迦様の人間味や親しみやすさを感じさせます。
「奇なるかな」の言葉の背景
この言葉は、立正佼成会の教えだけでなく、法華経や天台思想にもつながる概念です。「一切衆生悉有仏性(すべての生き物が仏の性質を持っている)」という思想が表れており、人々が本来持つ可能性や価値を認める視点を示しています。
創作かどうか
お釈迦様の教えやエピソードが後世の編集や解釈を経て現在の形になっている可能性は高いですが、それもまた仏教の面白さの一つです。人々が何世代にもわたって、言葉を保存し、伝えたいと思ったのは、それが人々の心に響いたからでしょう。もしこれが創作だったとしても、「お釈迦様が言った」と信じることで、多くの人に希望や安心感を与えた言葉だと思います。
お釈迦様がその場で「奇なるかな」と言った瞬間を、想像してみるのも楽しいですね。悟りを開いた直後、深い安堵と驚きが入り混じったような表情でつぶやいたのかもしれません。
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ちょっとした思いつきだったのに丁寧に解説されたぜ。
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