肌寒い十一月の土曜日の朝だ。僕は喫茶店に向かって国道を歩いていた。枯れ葉がアスファルト舗装に敷き詰められてその上を歩くとカサカサと鳴った。
店に着くとドアを開けて店内に入ると温かくて思わず吐息をついた。
今日はコンサートもダンスの練習もなくて、歌のレッスンが午後からあったけど、それまでは仕事がなくて久しぶりにゆっくりできるのだった。
僕はコーヒーとサンドウィッチを注文して店内にある大型テレビを見つめた。そこにはアイドルがファンに刺されて死亡したニュースが中継されていた。そのアイドルたちのファンの人たちが涙ながらに、そのアイドルがいかに素敵な人物だったを語っていたが、わたしも以前そのアイドルと一緒に仕事をしたことがあって寡黙だが大人びて自分というものが理解できているような、精神的にパワフルな女性だった感じがした。いつもは憮然としているのだが、時折見せる笑顔は少しの陰りもなく、その微笑みを見ていると自分までもが爽やかな気分にさせられて、啓発を受けて、これから今日一日頑張ろうと思うのであった。その笑顔がもう二度と見れないなんて。わたしは目を瞑って拳を握りしめて、大きなため息をついた。
「お客様、大丈夫ですか」マスターがわたしに声をかけてきた。
「うん、大丈夫だよ。今テレビに映っている子、僕の知り合いなんだ。以前一緒に仕事をしたことがあってね。とてもいい子だった。だから悲しくてね」僕は率直にマスターに言った。
「そうでしたか、とても残念ですね。わたしも彼女がドラマで活躍しているのを見ていました。残念です。コーヒーのお替りをもってきましょう」
「うん、ありがとう。なんだかあなたに話せてよかった気がする」
コーヒーと食事を終えると店を出て駅へ向かった。
石神井公園駅に着くとホームの椅子に座ってずっと電車が通り過ぎる様子をじっと眺めていた。沢山の人が乗り降りして無表情に何処かへ向かって行く。僕もそのうちの一人だ。でもその人たちも家族に会えば笑顔になるのだろう。
電車に乗ると静かな車輪が線路をカタコトとリズムを刻む音を聞きながら椅子に座っていると、向かえの席に座っている若い女性が僕のことをじっと見つめていた。僕はマスクをしていたのだが、ひょっとして気づかれたのかもしれない。でもその女性も僕が芸能人であることを確信することができないので、それ以上何もアクションをおこすことはなかった。
池袋に着くとアニメイトに立ち寄ってCDコーナーで僕たちのグループが歌っているアルバムを手に取って眺めていた。
店員が近づいてきて僕に話しかけてきた。
「お客さん、男性なのにこのアイドルグループのファンなんですか?珍しいですね。今までにこのアルバムを買った男の人はいないんですよ」
「そうなんですか。実は僕、このアイドルグループの一員なんですよ。売れ行きはどうですか?」
「えっ?そうなんですか。それは失礼しました。売れ行きは好調ですよ。ちいちゃなお子さんから年配の方まで、握手券を求めて何枚も買う方がいらっしゃいます。あの、よかったら握手してもらっていいですか?握手券ありませんけど」
「ええ、いいですよ。サインもしましょうか」
「ありがとうございます。僕の妹があなたのグループのファンなんです。とても喜ぶと思います。ほんとにありがとうございます」
僕は昨夜死んだアイドルのツカサのCDを探したが、もう売れきれていた。家に帰ったらYouTubeで聴いてみよう。彼女の歌声も魅惑的で印象のある歌なのだ。その再生回数は一千万を超えていた。
池袋にあるスタジオに入るとマネジャーがソファーに座り、コーヒーを飲みながら、雑誌を読んでいた。
「よお、和樹、元気かい?」
「うん、順調だよ。飲み物もらってもいい?なんか喉がカラカラだ」
「冷蔵庫のレッドブルがある。和樹のパートは結構長いからな。喉を潤したほうがいい。今日はダンスの練習は無いんだろ?」
「うん、今日はヴォーカルのみだよ。シングルの売れ行きはどうだい?」
「なかなかの好調だよ。オリコンチャートの5位にランクインしている。やっぱり握手券が効いているよ。AKBのパクリと言われようが、なんとでも言えばいい。今時、CDだけで売れる時代ではないからね」
「そうだね。でも僕自身、ファンと実際に出会って握手するのが楽しみなんだ。一人ひとりと出会って、ファンの声を聞く。とてもエネルギーをもらえるんだ。それにファンからの手紙はなんと言っても僕の心の内に温かな滋養分としてじんわりと励ましを与えてくれるんだ。単純に言えば元気をもらえる。こんな素晴らしい明るい仲間たちと一緒になって、みんなに夢を与えることができるなんて最高だよね。ほんと、この世界に入ってよかったと思うよ。