繭結理央

女優と演出家
風鈴の音って風流を押しつけるから嫌いだ……とは、読み手であるわたしの個人的な嗜好。しかしながら、鳴ったなら鳴ったで季節を想起してしまうのだから、わたしにとっては実に厄介なアイテム。

つまり、小道具はひとつだけあればいいのだろう。たったのひとつで、如何様にでも人の感情をコントロールできるのだろう。思い通りに演出できるのだろう。

惹かれているからこその演出だし、季節に左右される機会だが、圭のやり口は遠回りで、エグい。風鈴を飄々とぶら下げ、玲に嫌わせつつ、虎視眈々と想起の準備を狙うのだから。それこそ、美しい花にはすでに棘があるんだから、痛んでやっと五分五分だとでもいわんばかりに(強気に)好機を活かす。

高飛車な女優を自分好みのステージへ誘導する、圭とは、巧みな舞台演出家。

中には玲に同情する読者がおられるのかも知れない。だが、圭の“エグさ”も含めた上での観劇でなければ、もしや、ふたりの永い永い物語は結実を迎えられないのかも知れない。ならば、影の演出家たる著者の演出に、我々にはもはや、観客然と座っているしか術はなかろうか。