――承平7年(937年)
坂東と言う関東の田舎で小さな争いが起こった。
その争いのおり、国府に火を放った男がいた。
その男の名前は平小次郎将門(たいらのこじろうまさかど)。
国府に火を放つ行為、それ即ち国家に仇なすものなり。
平小次郎将門には謀反の疑いありと、坂東と言う辺境の地で起きたはずの小さな争いは、帝がおわす京を巻き込み、国家反逆の是非を問う大きな裁判にまで発展した。
半年と言う長きにわたる審議の結果、男に下された判決は『罪を認めながらも、帝の恩赦により罪を許す』と言うものだった。
この判決に世間は皆、帝の器が大きいからだと信じて疑わなかった。
だがこの判決の裏に隠された真実は他にある。
帝がその審議に辿りついた裏には、ある一人の姫君の犠牲があったのだ。
男は罪を許される代わりに、権力によって愛する姫君を奪われた。
世の不条理に抗う事も出来ず、幾多もの絶望を味わった男は怒り、狂い、そして――
国家に仇なす本物の“反逆者”として立ち上がる。
これは逆賊、“平将門” 誕生の物語。