12/31(木) 晴 コロナ福の世界へ
朝食を食べうだうだして、晦日詣に行く。晦日詣の趣旨は以前にも書いたとおり、お願いをするのではなくお礼を述べに行くことにある。つまり、足りてない→満たされているに視点を変えることにある。しかしこれまでの習慣がそう簡単にはとれないので、感謝したあとにやっぱりお願いしてしまった。あかんやん。。
実家へ向かう。駅ビルの生鮮食品売り場は満員電車くらいの混雑。刺盛りを買おうとしたが見当たらず品出ししている店員さんをつかまえて訊ねると、作ってはいるのだが出すそばから売れてしまい店頭にないという。出来上がるまでに時間がかかるとのこと。むぅ。店員さんに教えてもらった刺盛りが置かれているはずのところでしばし待機後、ハハに連絡する。連絡がつかずに電話を切ったらしばらくして電話がかかってきた。
事情を話して地元のスーパーで買うか相談していたら、カゴに入れていた刺盛りを戻しに来た人がいる。とりあえずそれを手にすると、ちょうど店員さんが刺盛りを店頭に出しに来た。おお!ナイスタイミング!新しい刺盛りを早速1つ買う。
昼ごはんを食べ色んなところをちょっとずつ綺麗にする。放って置かれ退屈そうなわんころもちをお散歩へ。うんちを拾おうとしたら手前にあったうんちを踏んでしまう。ウンがいいってこと?
帰宅して食べようと思っていた蕎麦を開けたら蜜柑の腐ったようなする。え?と思ったら黴が生えてる。よくよく見たら冷凍庫保存だった。。あー、常温保存しちゃったよ。仕方ないのでパスタに変更。お煮しめとパスタという不思議メニューになる。
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さて、今年と来年について。
今年はある意味「祭り」だったんじゃないかな〜。これまでの時代に対してのグランフィナーレ!みたいな。
「慰霊」をテーマにしたアーティストをここ数年応援していたり、「鎮魂」がテーマの1つだと思う『鬼滅の刃』にハマったりしたけど、この「慰霊」「鎮魂」というテーマは、自分の中では、今年で一旦区切りがつき、来年からはまた違うムードになるかなと思っている。
わたし個人のことを言えば、占星術師のSUGARさんが仰るように「休耕地」(だっけな?農業耕作地に何も植えないお休みの期間を作ること)だったと思う。空いた時間を今までやりたかったことに使いたいと思いながら、まったく、何もできなかった。
もちろん、実際には何もしていなかったわけではなくて、着物が着られるようになったし、わんころもちを迎え入れたし、部屋の模様替え、メルカリもYou Tubeも始めた。
なのに、この何もしなかった感は、やっぱり新しい生活の仕方が軌道が乗ってないことから来るのだろう。今年は「今までが終わる」で、「これからが始まる」のは来年からなんだろうな。
長年、働きたくない、満員電車に乗りたくない、毎日同じ時間に起きなくちゃいけないのがわからない、やりたいことだけしていたい、急かされたくない、と思ってきたけど、いざ「休耕期間」になってみると、急がなくていいのに人の波の中をせかせかと歩き、仕事がないことを不安がり、となかなか今までの習慣が取れなかった。しかもそれに気づいたのはごく最近、踵痛めて速く歩けなくなってから。
さすがに1年丸々ストップしたので、自分が元々どういう人間だったのか、少しずつ取り戻しつつある。昨年までは殆ど記憶喪失みたいだったなぁと。
"おミソ"で"オタク"なわたしは来年からは本来のキモかわ(気持ち悪い&かわいい)でいこうと思う。
作品やブログ(このブログは日記というよりほぼ記録でしたが)を覗いてくださってありがとうございました。
「禍転じて福と為す」
「為す」意思を持って、コロナ禍からコロナ福の世界へLet's jump!
ではまた来年✨✨✨
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