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絹傘 つづり

きぬがさ つづり

絹傘 つづりです。
怪奇文学、性愛文学や、ポルノなどが好きです。
好きな作家はサド、牧逸馬や、蘭郁二郎などです。
狂愛の物語をメインに執筆します。
『猛毒遊戯』の更新に専念いたします(完結後、新作公開)。
猛毒三部作計画進行中。
一部作『猛毒遊戯』
二部作『猛毒天獄』
三部作タイトル未定。
一言(虚数をテーマにした物語を書きたいです)

『狂虐天獄』(リメイク)
『血飛沫に染る檻』あるいは、『臟…

美とは(閲覧注意)。

このような文章を本当は書きたくありません。
ですが、私が思う真の「美」を皆様に知っていただきたくて、この文章を書くことに決めました。
私が思う真の「美」
それは「腐」です。
脱線します。桜を思い浮かべてください。満開に咲く桜。人々はそれを見て「美しい」という感想を口にするでしょう。
一方で散ってしまった桜。雨にさらされ、踏みつけられ、茶色に変色した花びら。あれを見て「美しい」と言う人はいないでしょう。いるとしてもごく少数でしょう。
雨にさらされ、踏みつけられ、茶色に変色した花びらの一体何が美しいの? と思うかもしれません。
分かりません。ですが、私は、あの薄桃色の花びらよりも、変色した花びらに魅力を感じるのです。われながら、不思議だなあと思います。
栄枯盛衰という四字熟語を耳にすると、桜を思い浮かべます。
長くなりました。
「腐」
「腐爛」
私は、この漢字と名詞が大好きなんです。
絹傘さんは変な人だよ。
絹傘さんは頭がおかしいよ。
こう思われるかもしれませんね。
私が物事の上辺だけを――例えば、満開の桜だけを、新品未使用だけを見て、24年間を生きてきた人間ならば「腐」という漢字を「腐爛」という名詞を好きになることは決してありません。
とどのつまり「死」んで「腐」って「腐爛」する。
なので、この漢字と名詞が大好きなのでしょう。
蘭郁二郎という私が大好きな作家がいます。海野十三と並ぶSFの先駆者と言われる昭和初期の作家です。
彼の作品のタイトルに使われている「腐」という漢字を目にしたあの日。彼の作品は、それをまさに体現したような作品でした。
また、人間の内に潜む狂気を描写する蘭の異常性に気がつき、戦慄しました(彼以上にマルキ・ド・サドの方が恐ろしいです)。
話を戻します。
蘭と私は同じ匂いがするんですよ。故に「一番好きな作家は誰ですか?」と聞かれたら「蘭郁二郎です」と即答します。
話は変わります。
『狂虐天獄』ですが、本当にこんなものを書いてもいいのだろうか? と思いながら、それを執筆しています。
つかさはまだしも紫月がいわゆるサイコパス。また、つかさの人格にも問題があり、それが相まって、物語が進行します。
感受性の強い方が本作に引きずり込まれるのではないか。それを心配しております。
ならば、書くのをやめたら? と言われるかもしれませんね。
ですが、物を書く人間は、書くことによって生きられる。本作を書きたいのではなくて、書かなければならないので、書く。
我儘をごめんなさい。絹傘の我儘を、絹傘を赦してください。

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