10
今年に入ってから、ずいぶん変わった。
この変動はいつからだ。
今年に入ってから、1日1日違うどころの騒ぎではない。
1分よりも細かいか?1秒でそんなに人って変化できるもの?
正直早すぎてついていけない。
というより、ついていってない。
思えば、
自分の意見、率直で素直な意見はいままで優先させたことがあまりない
具体的に言うと
変な癖だ。
この癖は、なぜか外で一人暮らしをしていたり、旅行中にはまったく気づかなくなる。
というのも、下手な話だが。
結局、それも自分を突き動かすものが意識的にはっきりしてないからそんなにまわりくどい意見を言っているのではないかと、友達の意見だ。
この友達は、現時点の僕とはあまり接点がない。ようにも見える。
この人は、いまいる場所で寝泊まりするまえは、たまに僕に会いに来てくれていたし、今よりもっと元気だった。今のほうが衰弱している。
変な話
いまの自分は、去年の夏より若くなっているのかな。
仕事をせずしてひきこもるようになってから、
というより、止められない筆。
止められるときは、それを疑ったとき。
怪文書になりがちな文章。
過去をふりかえりたくない、のは人生という意味ではなく、この文章でいうところの書き出しの部分
手直しに近い。
ぼくの書きたかったこととは違うのを延々と描かされている気がする。
それすらもどうでもいいと思わされるくらいに。
頭のなかが、おいしいお酒を飲んでいる状態にちかいくらいふわーっとしてきている。
それがなんなのか意識すればするほど
やめろ
という気持ちになる
そんなことなんてないけどね
さっきまで痛みのようなしびれを感じていた脳の場所はどこだろう
ぼくは構造をしらないからいえるけど
ひだりの外側と内側をつなぐ部分が熱いように感じる
内側から外側になにか運び出しているのかそれとも外側から内側に運び出しているのか
そのことを書き出したらしびれは解消した
ぼくの書きたかった内容それは、いつからいまの自分だったか
いままでの自分と何も変わらないとはいつも言うけど
それだって細かく言えば絶対におかしい。
そうじゃなきゃ、時間が進まない。
「若いからよく眠れる」という言葉がいまだに理解できていない。
この言葉は、あきらかに自分よりも年長者の言い放った言葉のようにも聞こえる。
実際、一般的に言われる若いころとは成人する前後のことなのだろうとは思える。
人からの評価さえ受け入れなければ
その年頃の自分は、今と同じ「昼夜逆転しているかも気付かないほどの眠らなくても毎日が楽しい状態」ではいたからだ。
統合失調症と診断されてその病気を治すために前向きに毎日処方されている分だけ飲み続ける努力をすればするほど
ぼくのからだは理解できない方向に進んでいたような気がする。
処方された薬を飲めば飲むほど、「いままで見えていた、わかっていたことが何もわからなくなる恐怖。その漠然とした恐怖は薬が足りないからだと量が増えていった」
いつしか、処方された薬を飲めば飲むほど、何も感じられないけどその感覚に慣れていく自分が幸せに感じれるほど周囲のざわめきが気にならなくなっていく自分がいた。
薬さえ飲んでいれば、みんながぼくに近寄ってきてくれるし、ひきこもっていなくても、外に出るための服装なんか気にしなくても平気でいられた。毎日が明るく楽しかった。そんな自分を見た周りの大人たちは少し首をかしげていたようにも、いや気のせいか。だってこれが真実だから。これが周りに望まれた自分の姿だし。ほんとに毎日楽しかったんだから。
無理をしていたり、無理をさせようとするのは、誰?
ぼくはここの存在してはいけないの?
いけなくないなら怖がらないで。
怖がりたいならそれでもいいの。
認められたくないならそのままで
いままで通り
ぼくはぼくだから
ぼくもみんなみたいに涙を流せるようになるのかな
何の話をしていたんだっけ
たしかいま自分の中に眠るモヤモヤのようなものを文章いやただの言葉の羅列か。
とにかく走り書きを、ね。
させているよね。
自分がせいを受けてからやりたいことがいまだにおもいつかない。
それに対して焦らなくなったのは去年の9月末か10月ごろ。
出勤中の車の中で、「そういえば、幼稚園のころ将来なりたいものってのを、描かされたなぁ」と。いうのを思い出していたんだよね。
それもやっぱり時間にして早朝と呼ばれる朝の時間によくやっていた。
いまはそれほどじゃないけど、ということにしておくけど。
ぼくは車に乗っている時や旅行先で宿泊している時の自分が一番好き、今いるこの部屋もしくはこの家にいるのは自分は、あんまり好きじゃないんだよね。
言い換えると、
前者は常にクリアなイメージで、どんなことも笑い飛ばせるし、下手すれば細かいことが気にならなくなるほど頭の中がスッキリさっぱりとしていて
澄み渡る空のようなすがすがしい気持ちになるんだ。
後者の状態は、それに憧れを抱くほどのまっくろ?いや色んな色が混ざり合った混ざり合えていないぐちゃぐちゃの変な色。
それに気づいても気持ち悪くないし、むしろそんなこと公表することさえ間違っていると思わせるかのような、ここに住む人々の言動がある。
いつもいうけど
ここにはなにがあるんだろ。
ぼくが気付いて修正すると気持ち悪がられるし、細かいこと言うな!!って怒られる
ほんとうにこの家の悪い部分は
風水なんかじゃ解決できないほどの
気持ちいい僕らがほんとうに正しかった、みんなどうかしているんじゃないのか?
馬鹿だなぁそんなこと
書くもんじゃないぜ
ひらがなでかけば問題ないだろ
誤字脱字をきにしてる場合か
また頭のひだり部分がいたくなってきた
あつくしびれるようないたみ
ひだり後方かな、へんなの
この家に住むぼく以外の人の意見は、ぼくにたいして変だ変だというばかり。ぼくの部屋で家具の配置が悪いというけど、あなたたちは何もしていないよね?
ぼくにとって自分の部屋が一番好きだよ?
それは去年の春に大きく家具の位置を変えたから。
鬱屈した毎日を変えたくて。
直感的に自分が自分らしくいられるための、自分のベッドを主軸に置いた住みやすい家具や小物かわいらしい色をもつものの配置。
もともと自分の直感で置いたものは自分の猜疑心が興味を駆り立て、結局、インターネットを使っての調べものになるわけだったが。
そこで有用な情報は風水というより、言葉でなにをどこにおいてあるかを指し示す、ことばで無理矢理表現して意見交換するためには、方角を気にしてものの配置をしたと言わなければならなかった。直感で好きなところに置いただと何も伝わらないし、何を伝えたいのかわからないだろうし。
そこから風水やらそういうものに興味を持っていかれた。
ただそれだけだったんだ。
話を戻そう。
私は過去の違和感やそれを無視してきたせいで現在の悲壮を変えたくて、未来を生きるというよりも、過去を振り返ることに重点を置いている。
現在できることはあまりない。
過去を振り返ることは自分にとって重要な宝だ。
記憶の欠損を補うのはいつでも、その時点の自分の価値観だと、それは美化されると言うけれど。
もし美化されているのなら、ここまで書いてきた内容に美しさはあったのか?
疑問に感じるが、美しさとは、いろいろな表現ができるものなのじゃないのか。
それとも数式のようにただ一つの真実のような、美しさなのか。
それとも人を惑わせるかのような二者択一の選択肢なのか。
それとも
それすら考えさせない、何も感じないし考えられないような「佇む」のが好みかな?
わたしにとって重要なのは生きるか死ぬかじゃない。
いかに幸せになれるか、だ。
宗教的な側面は一番嫌いだった
なぜそこまで嫌悪できるのか
いまだにわからないが
おそらく
この家に住まう者は口をそろえて言っているのか
それとも
部落の共通墓地のような、あれは戦争での被害者を祀っているとは言っていたが、あの大きな墓はなんなんだ。
みな何も考えないようにこうべを垂れてうつむいているが、それは誰もが触れてはいけないものなのか
面白いことに
去年、一昨年くらいから
この家の家族は、「よかれと思って」わたしに先祖の墓参りをさせていない
お墓の掃除すら私たちがやっておくからあなたはゆっくり家でくつろいでいていいのよ
という謎めいた話をする
先祖の供養ないし、墓参りは確かに義務ではないし、義理ではない。
墓は死を連想させるものであるし、精神的に病んでると思われているのならなおさらそういう気持ちになるのだろうな。
不可解なのは、この家の目と鼻の先に墓地があるのに、そこには何も思っていない人達の意見なんだよな。
あれは、ほかの家のお墓だから。
うちとは関係ないらしい。
もしそうならば、墓が死を連想させるから、精神的に病んでる者に対してみせたくないではなく、わたしにはなにも気づいてほしくないから、わたしには極力なにもさせたくないのではないのかな?
すこし言い過ぎたようにも思える。
これがこの家に隠された秘密である。
掃除をしてないとか
ほこりがたまっているから
汚いから
気持ち悪いから
そんな細けえ話で解決できるほど
この呪いが簡単にみえるお前らがほんとうにほんとうにかわいそうだよ。
今この文章を書いている部屋は、わたしが直感でモノを置きまくった部屋だ。
この部屋は、ほんとうにおもしろくて、季節や時間が織り成す変化を肌で感じることができるほどに移ろいを美しく演出してくれている部屋だ。
今の自分がいつまでもここに残っていたいと思えるほどに。
家の一角として存在するこの部屋が一つあれば、家全体がよくなるものだと信じてやってきてはいるもののまったく変化が訪れない。
いったいなぜ。
昨晩気付いたことだったが、ほんとうはあまり言いたくない内容なので伏せて置きたい。
これを解決するには、わたしがこの家の住人として、自分らしくあるように、確かな精神力と愛情を持って育まなくてはならないものなのだろうし。
そのための今までの旅行だったと考えれば、なにも問題視することはないのだが。
果たして、この部屋を抜け出した私が、またおかしくならないといいが。。。。。
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