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春里舞花

悪魔と天使 episode 2




「よ、呼んでまいりました!!」


店員が戻ってきて、扉を開ける。その隙間からすぐに、用心棒の望月が中へ入ってきた。


「社長!下は乱闘状態です、一刻も早くここから逃げましょう!」


望月はそう言って、私に近づいてくる。店員がその様子を見て、



「ここの先の通路が裏口に繋がっています。おはや…」


ガアンッッ!!


そこまで言ったところで、店員の頭が何かで殴られた。グラ、と揺れてその場に倒れる。その光景に私は目を見開いた。




「「あはっ!!」」




そして聞こえた声に、嫌な予感がした。





「「いろは、みいつけた!!」」



私を見つけて、目元と口元を歪めて、笑うふたりの男。既にその顔には、赤い血がついていた。


倒れた店員の向こうから覗いたのは、黒髪と白髪。白髪は手に、パイプを持ちそれで店員の頭を殴った。

すでにその鉄パイプには血がついている。






悪魔のご登場だ。


ふたりの姿に、用心棒の望月が未だ上裸の豚の前へ出る。豚は、ふたりを睨みつけて、


「こんなところにガキが何だ?遊びに来たのか?」


小馬鹿にしたような口調で言う。近くにあった自分のシャツを拾い上げて、羽織った。私はその後ろで何も言えずにその光景を見ていた。



「「あはっ。いろはぁ」」



喉の奥から掠れた息が漏れる。心臓の音がうるさい。




「随分と、楽しそうなことしてんじゃん」

「俺らも混ぜてほしーよねー?」



ケタケタ笑うふたりは「「ねー」」と顔を見合わせて、私を見る。私が着ていた黒いシャツは着崩れ、肩からずり落ちて床に垂れる。



「『いろは』?」


豚が私も白髪と黒髪を目線で行き来して、何かを納得したように鋭い目付きで睨んだ。



「ゆきを誑かして、監禁してたのは、お前らがそうか。」



監禁、その言葉に黒髪と白髪は目を合わせてぱちくりとする。


「監禁?面白いこと言うね、デブ」

「そっちこそ、お手手を鎖で繋いでご立派じゃん?」


ククッと喉で笑う黒髪の横で、白髪が両手首を合わせてニタァと笑う。

そして直ぐに黒髪が吐き捨てた。


「人間拾うのも存外つまらないと思ったけど、これだけは大当たりだネ」

「面白そうだからって泳がしておいて正解だったネ」



その言葉にああ、と心の中が冷めていくのが分かった。名前を付けられたペットはもう飽きられたらしい。



「面白い?」


豚の眉がぴくりと動いて、彼らを見る。彼らはその視線に、また顔を歪めて笑みを見せた。



「いろはのこと調べるついでにさぁ、店とアンタのことも出てきたんだよ。山口しゃちょ〜、最近アンタんとこ、事業が上手くいって金回りがいいらしいじゃん?」


「アンタさぁ、このクラブに結構金落としてるよね。ここで、秘密裏にどんなお楽しみしてんの?」



その言葉に豚は…山口は少しだけ焦るように視線を泳がせる。二人はケケッと笑って、言葉を続けた。


「この店、粗悪品のヤク回してるらしいじゃん?で、使うだけ使って、壊れて使い物にならなくなった女も売り飛ばしてるとか」

「金落とすってことは、アンタもそれに一枚噛んでんだろぉ?」


ふたりの言葉にダラダラと男の額から汗が吹き出る。



「随分といろはに執着してるみたいだからさぁ、泳がせたらシッポ掴めるかなぁって思えば大当たり」

「アンタを叩けばホコリが沢山出そうだネ」


泳がせる、その言葉に私は彼らを見上げた。

つまり今の私はこの豚と接触するために、今回ここに連れてこられたということになるのか。彼らは、私が拉致されることを分かっていたというのか。


彼らがなんなのか、存在を理解しえない。



私の隣に立つ豚はダラダラと汗を流したと思えば、私の腕を掴み持ち上げる。両手首を縛られている私はそれに軽く体が浮いた。


「こ、この女がどうなってもいいのかッ!?」


ポケットから取り出したナイフが私に向けられる。裏返るように響いた男の声にケタケタふたりは笑った。


「殺す?いいよ、好きにしなよ」

「用途はもう無さそうだし、処理してくれるなら有難いくらいだよね〜」


無慈悲な悪魔もいいところだ。彼らの言うそれが本気か冗談か定かではないが、冗談だとしても口にする言葉ではない。



それに男の手がブルブルと震え出す。怒りか恐怖か、何を口にしてもケラケラ笑うだけのふたりに困惑してるのだろう。



口を一文字に結んで震えている男は、動揺して顔を歪める。その表情を見て、彼らがニタァと気味悪く笑った。


「…ああ、でも具合はよかったかも。」

「あはっ、そうだね。」



具合、という言葉に私は違和感を覚える。



「いろはも良さそうだったよね、若くて体力あるし?体も衰えてなくて醜くないし、息も臭くて荒くてキモォイって、アンタは金以外は見るに堪えないってさ。」


「どんな男にでも簡単に組み敷かれるアバズレだけど、そんなので良ければ、あげるよ?」


その言葉に男の顔色が勢いよく変わる。真っ赤になったと思えば、そのまま私を引き上げて


バチンッッ!!


頬を勢いよく叩いた。



「ッっ、!」


そのまま、勢いよく倒れた。ドサッと音を立てて男の前に投げ出される。床に倒れた拍子に、頭を打って衝撃が走ったが、頭を上げて男を確認する。

フーッフーッ…と荒い息を吐いて肩を震わせている。こちらを睨みつける目は、血走っていた。




「「あはははっ、そういうとこそういうとこ。」」



男を小馬鹿にしたように笑うふたりの声が聞こえる。振り返れば、すぐ後ろに彼らが立っていた。



悪趣味な人間だ。



彼らと体の関係はない。

そういう目で、彼らが私を求めたことは一度だってなかったにも関わらず、男を逆上させる為だけに今の言葉を吐いたのだろう。




「面白そーだから、選択肢をあげるよ。いろは」


床に転がった私に向かって、黒髪が言った。壁も床も横になって映るその世界で、黒髪のニタリと歪んだように笑う顔だけはよく見えた。



「僕らかそいつかどっちか選べ。」



は、




この状況で選択を促されるとは思ってもみなかった。固まる私に黒髪はまた笑って言う。歪んだ目元と口元はこの状況を楽しんでいる以外ない。



「見てわかる通り、どっちも地獄だ。」



その言葉に白髪が同じように笑う。そして淡々と言葉を続けた。



「逃げるならきっとその豚の方が楽チンだよ。果物ナイフで喉を掻っ切るだけでいい。得意デショ?」


親指で首の頸動脈をおさえる白髪、にこやかな笑顔の向こうで目は1ミリも笑っていない。本気で言っているのだろう。



「だけど僕らのものになったら、どこまで行っても逃がしてやらない。僕らの所有物になるんだから。」



白髪はそう言って目を細める。まるで、何かを脅しつけるように。





「「どっちでくたばりたいか、選べよ」」







豚についていけば、一生、性奴隷だ。溜まったものじゃないが、黒髪の言う通り逃げることは不可能ではない。一度逃げてきたのだから。


その点、彼らは言葉の通り地獄の果てまで追ってきそうだ。もしくは、飽きて簡単に捨てられてもおかしくない。




天使も悪魔もいない。地獄の二択なんて有り得るのか。

そしてそれと同時に理解してしまった。彼らが私を、毎夜毎夜連れ回していた理由を。






「選ぶ?何を言ってるんだ、お前たちのようなガキに何が出来る!!」


山口の大きな声が響く。興奮した豚の口から唾が飛ぶ。黒髪と白髪はそれを見て、鼻で笑った。



私はこの先を知っている。豚の行先を、もし彼らに首を振った時の自分の行先を、


毎夜毎夜、血濡れた中で笑う彼らの向こうには必ず屍があった。


今夜、屍となるのはこの豚か、そこに自分も含まれるか、どちらかだ。



「…ッ、…」



私の顔色が変わっていく様子を黒髪も白髪も黙って見ていた。真顔でこちらに向けられる視線に、私は下を向く。



「ッ、は、…っー」



心臓の音が煩い。大きく脈打つそれが、他の音を遮る。


選ぶ先がどちらも地獄?

だったら、何の為に生きるの?


失くして、傷ついて、虐げられて、諦めて

この先はまだ続くと、その先を選べと

なんで、そんな選択肢を求められないといけないの?



「ッ、ぅ、ぁ、…っ、」

そう考えれば、顔が歪んだ。


それを見て、双子が一瞬、目を見開いた。無意識に私は口を開けて、舌を噛み切ることを決意した。



「ッ!?」



「はっ!面白いじゃぁん。」

「そういう顔できるンだねぇ、イロハ。」


その前にガッと勢いよく、顔を掴まれた。顎を掴まれて、動きを停止させる。横たわったままの私の前に膝ついて、ふたりが顔を覗きこんできた。



「舌噛んだくらいで、死ねると思った?」

「出血多量になっても、致死量にまでいかないよ」


「ッ、…、ッ、!」


ふたりが顔を歪めて笑うから、私は言葉にならなくて震える。黒髪が私の顎を掴んで、上を向かせる。



「選べって言ってるだろ?」


「…ッ、は、」


目を細めて、私に再度尋ねた。その視線に、その手に、私は震える。選択を拒むことは許されない。


彼らについていく?この恐ろしい彼らに?


人を追い詰め、嬲笑う男たちに、


今も尚、体は竦んで動かない。



「ッ、…ッ、ぅ、は、……ま、」




私の待つ地獄にもそれが存在するというのか

彼らに嬲られ、苦しむ様が容易に想像できた。




震える体、喉が掠れる。小さく呻くような声に黒髪がまた顔を覗き込む。大きな黒い瞳でこちらを見るから、私は喉が締まる。



「ッ、…ぅ、…ま、待ってるじ、じ地獄って…どんな…?」



あなた達の行先に、何があると言うのか



私の言葉に黒髪が目を丸くした。喋ったことを面白く思ったのかニタリと笑う、そして顎から手を離して私の額を指さした。





「それは、いろは次第だろ?」






私、次第…ーー?




「死にたくなきゃ付いてこいよ。お前の顔が歪むくらい面白いもの見せてやるよ」



黒髪はそう言って可笑しそうに笑った。歪んだ笑みではなく、純粋に何かを楽しみにする少年のような笑みに私は息を飲んだ。



喉を震わせる感覚に、息が苦しくなる。悲しくもないはずなのに、生理的な涙が無意識に目に溜まった。



「…ぃ、…い、い、生きて、」



声を震わせる私を黒髪がじっと見る。何を考えているのか分からない彼は私の言葉をじっと待っていた。



「か、…かかか帰ったら、…じ、地獄…か、ら、天国ですか…?」



吃って上手く言葉にできない声、その言葉に黒髪が笑う。そして、ゆっくりと私の頭に手を伸ばして、置いて言った。




「それも、お前次第」




その言葉に私は言葉を失う。呆然とする私を見て、黒髪と白髪が顔を合わせる。涙が頬を伝って、落ちた。






「…ッ、…は、…はっ、…じ、じゃっ、じあ、じゃ、あ…」





選択は間違っているのかもしれない。



でも、その先に何かがあるのかもしれないなら、





「…い、いい生き、…たいです、」






今、この瞬間、人生を選べるなら、


いつか、死に際ぐらい選べるだろうか





「「あはっ、そうこなくちゃ」」



双子は笑った。ニタァと歪んだ笑みを作って、白髪が私に手を伸ばす。ビクッと身構えたが、そのまま担がれた。



「オーイ、そこのおデブさんよぉ、コレは貰ってくな」

「なっ…何を言ってるんだ、!その女に俺がどれだけ、金を注ぎ込んだと思ってるっ…!」


担がれた私を見て、山口が大きな声を上げる。それを聞いて、二人は視線を合わせて笑った。



「へえ?いくら?」

「多くて数百万単位だろ?オッサン。」


ケタケタ笑うふたりに、山口は意味がわからないと青くなる。




「金で命の価値を張り合いてぇなら、ウチよりデカい組織になってから言えよ」




そう言ったと同時に、後ろの扉から大勢の黒服に集まってきた。強面の大きな男たちが何十人も中に入ってくる様子を私は呆然と見ていた。





「「お掃除の時間だ」」


双子の後ろに並んだ男たちは、見る限り一般人ではない。扉の向こうに見える店員が腰を抜かして怯えているのが見えた。



「桐様、呉様、残りは我々が。」


黒服のひとりが双子に言う。その言葉に黒髪がハッと笑った。


「上手くやれよ。下の竜胆会は残り全部片付けてやる。こっちはこっちで、親玉まで追いつめて、ヤクの出処洗いざらい吐かせろ。」



そう黒髪が言ったのを最後に、視界が黒服で埋まった。白髪がそそくさとその場から離れ、扉を足で蹴り開ける。



店員が顔面真っ青でこちらを見上げている。担がれたままの私はそれと目が合ったが、まるで悪魔を見るような目に私は目を逸らした。





ドンッ、バァンッ、…後ろから不穏な音が聞こえて一瞬、振り返る。もう厚い扉の向こうは、覗くことはできなくて、悲鳴に近い声が聞こえてくるだけだった。





「おおい、お前ら終わったかァ?」


階段の上からホールを見下ろした黒髪がそう声を張ると、下から無数の雄叫びが帰ってくる。


見れば、元々クラブとして人が溢れていたはずの華やかしい光景はなく、そこには屍となった人間が何人も倒れていた。


「クソ雑魚集団が、こんな所たまり場にしやがって邪魔くせえったらありゃしないよな」

「下っ端、吐かせてよかったじゃん?いろはの居場所もわかったし。」



ソファーやテーブルはひっくり返り、地面には血と一緒に酒が広がった乱闘状態の後がある。



「あっけねぇなぁ、ヤクのやりすぎで脳みそも体もぶっ壊れてたかァ?」

「元々クソ客の集まりでしょ。大したことあるわけないって。」


その状態を見て満足そうに笑みを零すふたりは、階段を降りながら私に尋ねる。



「そういえば、いろは。やっと喋れるようになったんだね」

「ああ、叫んだ時は誰の声かと思ったよな」



思い出したように言う言葉に私は目を逸らす。

流暢に喋れるわけでない、その視線に怯えて声は裏返るし吃るし、言葉は出てこないし、期待する眼差しをやめて欲しい。




「ね、本名教えてよ」

「ああ。そういや、元の名前聞いてないな」



ビクッとその言葉に身構える。何食わぬ顔で階段を降りていくふたりは、最後の段から足を下ろしたところで私を立たせた。


手首を繋がれていたテープを剥がしてその場に捨てる。自由になった私は、恐る恐ると彼らを見上げた。



「…ぁ、ぅ、」


「「え?」」


吃って上手く言葉にできない私にふたりは聞き返す。私はぎゅう、と服の裾を掴んで全部を吐き出すように言葉を発した。



「…イロハ、です」



その言葉にキョトンとしたふたり。私は顔を上げて、ふたりを見あげた。



「…っ、そ、ソレ以外に、ぅ、も、ももう、…っぁ、名前はああ、あり、ません、」



死に際も選べない自分はここで捨てていこう。

屍となるはずだった私をここに置いて




「へえ。上等じゃん」

「言うようになったね」




彼らに付いて歩いていくのだ。



私の言葉に黒髪が笑った。それを見て、白髪も可笑しそうに笑みを作る。


「俺は己斐 桐。」

「僕は己斐 呉。」


黒髪が桐、白髪が呉、不思議な名前の双子はどうやら本名だったらしい。そしてふたりは笑って私に手を差し出した。






「「今日から君のご主人様だ。」」




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