天使と悪魔 episode4
1年が過ぎた今でも、彼らは相変わらずホテルに住んでいる。それでも数ヶ月滞在するだけで、高級ホテルを何度か梯子した生活だ。
どれも如月家の管轄にあるホテルのようで、長期滞在に嫌な顔をされることは無い。
「…。」
ルームサービスを頼めばいいのだけれど、彼らは起きてからすぐに食事にありつきたがるし、冷めてたり少しでも気に食わないメニューだと手をつけない。
彼らの起床時間に合わせて、私が簡単なものをキッチンで作るのが当たり前になった。
無論、喧嘩に明け暮れる彼らの朝は遅い。学校には気分次第なので、行かない日もあれば行く日もある。私は彼らが居ない時間は常に部屋の掃除、家政婦みたいなものだ。
目の前では、フライパンの上で目玉焼きとベーコンが焼かれていた。無言でそれを見下ろす。
カタンッ…と後ろで物音がしてビクッと身構える。振り返ろうとしたその前に、
「…さみぃ」
寝ぼけているに近い声と共にお腹に手が回って、肩に黒い髪が乗った。
「おはようございます。桐様」
挨拶をしたが返事はない。ピクリとも動かなくなった体に、私は続けて尋ねた。
「ご朝食になさりますか?」
「…さみぃから、ベッド戻る。いろはも来い」
その言葉に私は動きを止める。目の前では、いい火加減で焼かれている目玉焼きがある。しょうがない、後で作り直す他ない。
「…承知致しました。」
そのまま彼に引きずられるように寝室へ連行される。大きなベッドがふたつ、そこに並んでいる。
ひとつには白髪の男が寝ていて、その布団は左半分がめくれ上がっている。
「…んぁ、桐ぃ?」
体を起こした呉は私の方を見て、納得したように桐へ視線を移す。
「寒いと思ったら」
「いろは、寝ろよ…」
目が開いてない桐が私の体から手を離して、ベッドに乱暴に投げる。されるがままに、ベッドに仰向けに倒れた私は冷静に返す。
「朝食の準備がまだですが…」
「ええ?じゃあ、いろははこの寒い朝、男たちふたりが抱き合って暖を取れって言いたいの?」
「勘弁してくれよ、気持ちわりぃ…」
そう言った桐が私の隣へボスン、と倒れる。
常日頃、大きなベッドにふたりで寝ている人間のセリフでは無いと思った。呉が寝転んだ私たちふたりに、布団をかけた。それと同時に背中から手が回る。
「…ほんと、抱き心地悪ぃ…太れよ、いろは」
ぎゅう、と後ろからくっついてきた桐に私は何も言わない。今度は目の前から、呉が胸に顔を埋めて、背中へ手を回す。
「昔よりは少しだけ良くなったよ」
男たちの言葉に私は溜め息をつきたくなる。元々、ふたつあるベッドは彼らが一人ずつ寝ていたが、私が来てからはそのひとつを私に明け渡した。
ソファーに寝るというのは却下された。
「…申し訳ありません」
ふたり仲良く同じベッドで寝ていたにも関わらず、寒い日はこうして私をベッドに引きずり込んで暖を取る。
身動きひとつできないように彼らの手が合計4つ体に回り、私は最悪の寝心地で眠りにつく。
夢を見た。
真っ白な地面に座り込む私、その首には首輪があって、繋がれた鎖の先は見えない。
鎖に触れると、ジャラリと重たい音を奏でる。立ち上がると、鎖は私を呼ぶように前へ引かれる。
『 』
ビクッと肩を揺らして、顔を恐る恐ると上げると、ふたりの男女が立ってこちらを見て手招きをしていた。
後退りする私を見透かすように、鎖が前へ引かれる。心臓の音がうるさい、足が震えて立ち竦む。
真っ白な地面が黒く侵食して、裸足の足から上ってくる。あっという間に辺りを黒く染めるそれに私は震える。
ここは絶望の縁だ。どこにもいけない、堕ちていくことしかできない地獄の入口だ。
『イロハ』
後ろから声が聞こえて、私は肩を揺らした。恐る恐ると振り返るけれど、辺りは暗闇のまま
『あはっ、地獄だって。』
『そんな最高の遊び場あるかよ』
ふたりの声だけが広がっていく。ジャラ、と何かを否定するように、鎖が音を鳴らして振り返ることを妨げる。
『『面白そう』』
両の腕が誰かにとられる。そのまま、前へ引かれた。首が、首輪でしまる。息が出来なくなる。
『『来いよ、イロハ』』
聞こえてきた声に私は、顔を歪める。首が苦しくて上手く声が出ない。でも、体は前に引かれる。
『…はい』
喉からか細い声でそう答えた。
『『そんなつまらないもの、置いてきなよ。』』
その言葉を最後に、首輪が音を鳴らして私の首から落ちる。地面に音を立てて落ちたそれを見る暇もなく、体は前に動き出す。
目の前は変わらない暗闇の中だ。でも浮き足立つような軽快な足音が聞こえる。
『行き着く先に何があるかな』
『行ってみないとわからないな』
彼らは闇を恐れることは無い。先が見えないことすらまるで楽しんでいるかのように笑う。
『生き残れば地獄から天国だ。』
『せいぜい楽しもうよ』
その言葉を最後に私は手を強く握られ、暗闇の中へ足を踏み出した。
「…ぅ、」
目を覚ますと、黒髪が至近距離に見えてビクッと目を見開く。
「…き、きりさま、」
無言の彼はじっと私の顔を見ていて、私は固まる。背中の方では、呉が丸くなってすやすやと寝ているのがわかった。
この狭い空間の中で寝返りが打てた私は、知らぬ内にリラックスをしていたのか無理やり、こちらを向かされたのかどちらかは分からない。
桐が至近距離でじっと私を見て目を泳がせる。セットしていない黒髪に所々、白く染められている髪は前とは違う。
そのまま頬に手が伸びてきて、身を固くさせた。
「なんで泣いてんの?イロハ」
べロリ、とそのまま目元を舐められて肩が反射的に揺れる。目を瞑ったことで、まつ毛に付いた雫の冷たさを感じる。
「ッ、!?」
「そんなに僕らといるのが、コワイのか?」
至近距離で丸く大きな目が弧を描く。まるで面白がるように見つめられた。少し幼さが残る端正な顔立ち、セットしていない黒髪がさらにその幼さを際立たせる。
「頭を撃ち落とされるからか?薬盛られて狂って死にたいか?今望むなら、派手な面白い死に方にしてやるよ」
「…っ、…ち、…ちち違います」
至近距離で見つめられ答えを求められるそれに、私は吃る。もう殆ど流暢に喋れるようになったが、長年の意識の問題か緊張が大きくなると、言葉が上手く出てこない。
「じゃあ、何を泣いてるんだよ。」
相変わらず彼が何を考えているのか、理解し得ないままだ。彼の心の内が見えても、答えは見つからない。
その先に何を求めているのか、何が欲しいのか、彼の根底は何から来るのか、私には理解しきれぬままだ。
「ッ、…おふたりが、いつ、私の手を離すかと、…」
「自由になりたいってか?無理な相談だな。」
そう言った桐は私の両手を掴んで、片手で束ねた。拘束されれば、簡単に抜け出せないことは知っている。
「…い、いえ、わ、私はまだ桐様、呉様が言う天国を見ていません。」
「へえ?」
随分昔のことを覚えてるんだな、と桐は可笑しそうに口角を上げる。半場少し呆れるような目を向けていたこともわかった。
「…おふたりが望むところは、どこですか」
その問いに桐が一瞬黙って、すぐに目を細めた。そしてグッと顔を近づけて、目の前で歪んだ笑みを見せて囁く。
「僕らの世界が唯一無二になるところだよ。」
そしてそのままクッと喉を鳴らして笑った。
「天国行きたきゃ、生きろよ。イロハ」
その表情に私は黙って、彼を見つめた。面白がるよ彼の顔はいつだって、本気だ。それに、求められた答えが何かも分かってしまう。
「…承知致しました。桐様」
そのまま桐はまた喉をクックッと鳴らして笑う。私の手を片手で拘束したまま、
「天国に行きたいだなんて、天使みたいだなぁイロハ」
そう言った。空いた手で、私の髪をかきあげて、頬に手を這わせる。髪は彼らのとこに来てからすぐに切った。
彼らの要望で肩まであった髪は、耳と首に少し被るくらいまで短くなった。髪も黒から染めた、色素の薄い色を入れられ、私はまるであの頃とは別人のようだった。
「…そう、でしょうか、」
「ああ、見た目も。ずっと見てると天使に似てる。」
その言葉は褒めているのか分からなかったがあまり嬉しくはなかった。
「…私は顔についての価値の差があまりわかりませんが。桐様と呉様も、端正な顔立ちをして黙っていれば天使のようです」
その言葉に桐はケタッと笑う。私が皮肉言うことが可笑しいんだろう。
「でも、…私には、悪魔に見えます。」
そう言った私の両手の拘束を解いて、彼は言う。
「ふっ。じゃあイロハは堕天使ってとこだな。可哀想に」
そのまま、鎖骨の下に口付けて吸い付いた。反射的に体を震わせる私に桐は喉を鳴らして笑う。
「せいぜい天国に行き着く前に死なないよう頑張れ。僕らの堕天使」
私に所有印をつける彼はこの街の王で悪魔だ。何を考えているか分からない狂乱の王様、私はそれに付き従う猫でしかない。
私はこの悪魔に魂と命を売ったのだ。
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