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汪海妹

ワンハイメイ

2019年の夏頃より小説を書いています。

一番最初は主人公たちが高校生から大学生になる頃を扱っていて、その次と次の次はそのまま彼らが親になって大人になってゆく世界を書きました。その後、そのまま作品の中に出てきた脇役を今度は主役にし、以前の主役達を脇役にするという形で、どんどん作品数も増えました。

自分の作品の中で一番読まれている作品は、木漏れ日①というもので、これはリーマンを卒業して起業する…

Buon giorno

おはようございます……

先週、自分で予告したように世界の国からおはよう的な意味でイタリア語で書いてみました。
テンションがすごく、すごーく下がりました。

検索して入力する前の瞬間に、寒いな、これ、すっごい寒いと思いました。
私的にツボにハマらず、いや、やめよう。しつこく、しつこくひたすら日本人なんだから日本語使い続けよう。面白くなくても、と思いました。

それでもなぜやったのか……

人間ってね、行動パターンがあるんです。
その行動パターンを破るとブレークスルーすることがあるんですよ。

嘘ではない。

仕事がうまくいかないとか、人生がうまくいかない。恋愛がうまくいかないとか色々ありますよね。
そういう時は自分の行動パターンを見直して、自分が絶対やりたくない避けてきたことをあえてやってみる。
(でも、犯罪とかそういうのはダメです。もちろん)
すると、新たな自分を発見できることが、たまに、あります。たまに。

たまに……
(しつこいかな?読んだ人がほんとかなと思ってやってみてうまくいかない時の言い訳用。保身)

だから、すっごい嫌だけどやってみました。若干鳥肌立ちました。

今週、かみさまをお読みくださった方、また既刊お読みくださった方、しおりくださった方、スタンプくださった方、ありがとうございます。^^
創作的にかなり落ち込んでいた週でして、それでも読んでくださる皆様としおりやスタンプくださる皆様に支えられております。ありがとうございます。

かみさまの暎万ちゃんとひろ君ですが、2020と2021の短編の中にも結構登場しています。

2020年
 21 体重計(予告編)
 22 毒をくらわば(予告編)
 23 結婚詐欺(予告編)
 25 大人の片想い(事後編)
2021
 2 死水(事後編)
 3 パジャマパーティー(事後編)
 4 酒盛り(事後編)
 5 とある日のひろ君(事後編)
 9 二度目の引っ越し(事後編)
 9.5 言わなくてもわかる(事後編)
 10 美食家(事後編)

予告編はかみさま本編を書く前に書いたかみさまよりも後の話で、本編への伏線があり、ギリギリネタバレしてないものです。なぜなら、本編がまだ存在してない頃に書いているので。
事後編は投稿中のかみさまを書いた後に書いた短編です。
ネタバレがあります。本編の後に追加で読んだら、面白いかもしれません。ひろ君と暎万ちゃんが気に入られた方におすすめです。

私は、食いしん坊の暎万ちゃんとひろ君が結構好きで、そのせいでこんなポコポコ短編を書きました。
この前成り行きで、実はタイプなんですとひろ君に告白ではないが告白?しました。速攻で振られました。
告白したつもりはないのに、振られるというちょっと腑に落ちない経験もしましたが、ま、大人はね、そのくらい許しましょう。(とりとめのないことの中に振られる話が入ってます)

今後の掲載予定です。

11月 かみさまの手かみさまの味① 掲載中
12月 未定
1月  かみさまの手かみさまの味②執筆中 5.5万字

かみさま②をなかなか進められないでいます。実際に活躍されている日本人パティシエさんについて調べれば調べるほど、適当に書けないなと思って敷居が高くなってしまってます。それ以外にも原因があって、現在不調中。小説家でもエッセイを書くと決めて、笑えるものをたくさん書くようになりました。真面目なものを書くのを休んでしまいました。うまく言えないのですが、それで自分の執筆のバランスのようなものを崩してしまったかもしれません。

簡単に言えば、ウケるものを書こうと肩に力が入りすぎたのかなぁ。
笑いや軽い口調の文章を書いている自分というのも、確かに自分なんです。
だけど、友達を作るために少し無理をしている自分とも、別の角度から見たら言えるのかな?
本当は内側にとてもとても暗い、と一言で言ってしまってはちょっと違くて、真面目で深いというのですかね?そういう自分を持っているんです。簡単に誰にでも見せるものではない自分ですね。

誰もがきっとそういうものだと思うんです。文章を書く人だけではなくてね。

一口に文章を書くといっても、様々なタイプの人がいてその方法は千差万別だと思うのですが、自分の場合、皆さんにとって少しでも共感が持てて読みやすいものを書こうと思って、また、自分自身も好きなので笑えるものを書きたいという自分がいます。いわば、これが外面かなと。友達をたくさん作りたがってる自分で、そして、自分は人に好かれる自分を演出することもそれなりに上手いんです。

ただね……、なんというのかな?
人間の魅力とか、共感を与える部分というのはですね、本当はそういう作った表面のみにあるのではないのかなとも考えるようになりました。簡単に人には見せない内側の自分。それは、自分では漢字の多い抽象的でよくわからないことを考えていて、自分にとっては大切な思想なのですが、人に見せても眠くなるだけだろうと。

素の自分をそのまま見せて、周りの人がそれをどう思うのかわからない。

これは書いて人に読ませることだけではなく、人間の持つ普遍的な怖さだなと。

だけど、人は自分が知っていて他人も知っている自分を持ってます。
同時に、自分は知らないけれど他人が知っている自分も持ってます。

だから、素の自分をそのまま見せても誰も自分を理解しないと、きっと私だけではなくたくさんの人が思ってる。本当にそうかどうかは、見せてみないとわからない。

それがきっと意味のある行為なのだと考えるに至りました。
そのままの自分を晒すという行為を恐れて、そこで引いてしまえば、書くという行為のエンジンのようなものを失ってしまうなと。それが、最近の不調の原因の一つです。

羅針盤を持たずにローテクな船で海に出て、闇雲に進むような気分です。
そのくらい、飾らない自分で文字を綴り、それを晒すというのは確かに怖い。

だけど、同時に書くという行為にとどまらず、普通に会社で働いていて、ビジネスシーンでお知り合いになる人、尊敬するような仕事をされている人というのは、やっぱり何らかの形で自分を晒していると思うんです。
そして、人を動かしている。

誰もが本当は人を動かすような力を内に持っている。その力は飾らない自分に宿っているのではないかと思うんです。飾らず狙わず晒される本音の言葉にこそ、周りの人を動かす力は宿っている。
だから、きっと伝わると信じて、核からなるものを書かなければならないと、そうでなければ、私自身が見失ってしまうとそう思いました。

私自身がなぜこんなにもたくさんの言葉を吐き出しているのかを、忘れてしまいます。

だから、読みやすい、わかりやすい、読んで楽しいものを目指す一方で、ただ純粋に思うこと、願うこと、怒りを覚えたこと、そして、悲しかったことや反対に楽しかったことを綴ろうと思ってます。

それは、書き続けるために。いつか本当に書きたいものを書ける自分になるために。
その私の毎日の姿が形を変えて、書くという手段ではなく別の手段で、しかしやはり戦っている人のための追い風になることを願っています。

それでは良い週末をお過ごしください。^^
汪海妹





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