島たけや

しま たけや

 三十年近く活動したスポーツの終焉。伝説の仲間を振り返り、人生の意義と身体の意志を未来に模索する。“ふるさとは遠きに在りて思うもの…”と今を生きている。  島たけやの不思議な出逢いの始まり、それは2006年暮れの事だった。父を亡くしてから色々な巡り合わせに遭遇する。これも包まれた愛である。

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法定相続人

離島に住む人々は、穏やかで好い人に思います。両親も兄弟(親戚)も
多く冠婚葬祭も賑やかで香典返しも大変ですが、ここ十年で亡くなり両親も
昨年の事でした。その子(親族)は都会で生活して親に仕事がある人(漁師など)財産がある
家は、兄弟が後継ぎをしていたり結婚して仕事を継承することが自然です。
その様な時間の経過で40歳で戻り、実家での生活は、両親の看病と介護でした。(結果として)
父の仕事は、郵便局長で特定郵便局長でした。財産も家族の遺産として継承することが普通です。
自分は、郵便局長を継がず姉の旦那さんが局長なり家族で八丈島の生活をしました。
局長を退職すると実家の大分に帰りました。池島局長でしたが、あまり理解していません(付き合いない)父の葬儀は
喪主挨拶で大変お世話になりました。(2004年2月22日没)
母が病気で2001年9月心臓病で手術をして妹が一年くらい世話をしました。(東京品川)それから二三年、両親の島の生活を見守りしたのは姉と僕でした。




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