島たけや

しま たけや

 三十年近く活動したスポーツの終焉。伝説の仲間を振り返り、人生の意義と身体の意志を未来に模索する。“ふるさとは遠きに在りて思うもの…”と今を生きている。  島たけやの不思議な出逢いの始まり、それは2006年暮れの事だった。父を亡くしてから色々な巡り合わせに遭遇する。これも包まれた愛である。

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最後の証言2021

 この証言を最後に抱えている不利な環境でいつまでも生きていることは有り得ない。身内が起こした【遺言証書】は信頼を裏切り私事ではありますが、高齢と肉体的疾患で元気を失い身の回りの片付けやこのような遺産を最低限留めておくことにしました。
 父の局長時代の遺産が郵便局舎料(賃貸料収入)があり、それを義理の兄(大分に住む)「池島陛下」の長男が日本橋の郵便局長をしていることを姉に聞いておりますが、母が健在で姉の持病(乳癌)が悪化したのでしょうか?姉の息子(池島皇太子)に遺言書遺産を分けること口頭で伝えたようです。母は東京の公証役場まで出かけたようですね。2001年9月11日心臓の手術をして障害者手帳を持ってそんな母を看病と介護15年しました。
 人生色々ありましたが、これが最高の献身的な仕事でした。父は国家公務員で2004年2月に亡くなるまで母と共に暮らしていました。父は肺癌で苦しんで入院中の看病は夜勤24時間体制で個室の面会できない状態でした(肺結核)。母と交代で一ヶ月看病を続いて最後私が看取りました。
 姉は『この不平等の遺言遺産書』は家族会議もないまま弁護士に委託されました。公証人(女性)が途中放棄してしまいました。この公証人も許し難い無責任な人物であり法務省が崩壊している頃でしたし郵政民営化も進み雑な業務と簡易保険等問題が多くありましたが、みんな臭い問題が表面化することは無かったのは民営化で隠されてしまい預貯金の印鑑登録や登記、その他情報にある役人仕事が簡略化されたことで問題が不透明に成ってしまいました。歴史的証言を待つしかないですね。現在の郵便事業をちゃんと精査しないと問題が隠れてしまうことになります。

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