島たけや

しま たけや

 三十年近く活動したスポーツの終焉。伝説の仲間を振り返り、人生の意義と身体の意志を未来に模索する。“ふるさとは遠きに在りて思うもの…”と今を生きている。  島たけやの不思議な出逢いの始まり、それは2006年暮れの事だった。父を亡くしてから色々な巡り合わせに遭遇する。これも包まれた愛である。

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実家の電気

東電は実家の電気を切った、住んでいる人が私であることを知りながら切った、東電は人員削減と福島原発事故に合わせコロナ感染症でとても苦しい状況であろう。以前、飲み屋で若い社員だろうが東電は離島で職を経験して(公務員)先生や警察はこの離島で勉強して都会に出るのだ。この離島は便利な教習所で知識や情報量は少ないので学習能力レベルは都会の小学生レベルである。東電は縮小することでコストや経営を安定させ原発事故を処理するのだが、人生二度あることは三度あるで命がいくつあっても足りないのだ。東電が起こした原発事故を国が予算を計上して結局のところ我々の税金で福島原発事故の作業をしていることに不満とやるせない電力問題を問いただしたいが、若者よ「東京電力」に何も魅力はないゼロの会社でしかないのだ。この島まで来て中央制御室で電気の管理をしていることを思うとデジタル社会のマイナスである。(人間の心の問題)飲み屋もそろそろ終わりだろうから早く帰っておやすみなさい。電気代を払う「金」もないオリンピック(パラリンピック)コロナの心を読み違いNipponの社会にダメージを与えた。2020年東京オリンピックは記録として残るであろう。(早く実家の電気を灯せ・・・)

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