作品コメント
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- 久万くまこ
豊かに満ちた世界
最中さんの小説を読むといつも同時に映像が浮かび上がります。
この作品もまた、そうでした。豊かで瑞々しく、それでいて個性のある表現力…!!
雨上がりの雰囲気や空気感をこれだけ美しく、かつ馴染みよく描ける力量に感服です。
キャラクターの名前の付け方にも真似出来ないセンスを感じます。あの二人の名前と愛称があるからこその世界だと思います。
会いたい、嬉しい、独占したい、好き、の気持ち。
触れ合うことで感じる、本能的な幸福。
惹かれる相手の一挙一動に揺さぶられる心臓。
二人で踏み出した一歩。
キラキラと輝く言葉によって紡がれるこの物語は陽の光に照らされた春雨そのもののようでした。
かわいい二人に雨と晴れの幸せがいつまでも訪れますように★
大好きな春雨のお話を書いてくださってありがとうございました! - 繭結理央
「蜜」室芸
ふわふわとさらさら。
いやらしさと透明感。
いらいらときゅう。
約束の中止と黒魔術。
たま(玲)と麗。
異なる(ように見える)属性が窮屈することなく対称におさまる、この妙味。
ああ……痛快。
そしてなによりも痛快なのが、
あっという間に読了……とはいかず、本当に(後書を省き)16pだっただろうかと表紙を確認、本当に16pで、随分と永く作中に閉じこもってしまっていたものだ、という摩訶不思議。
これぞ密室芸。
時間の確かに流れる作品であれば、読者もまた作中の時間とともに読み進められる。延いては、読書に係る時間をも颯爽と感じられる。
反対に、確かな時間の流れない作品となると、読者は作品という密室の中に閉じこめられ、いつ終わるとも知れない(知りたくない)読書に没頭してしまう。
……代表格と出会ってしまった。
「たまには蜜」?
これだけ雨宿りを長引かせといて、意地悪なことをおっしゃる(笑)。
あっという間とはいかない没頭……これぞ密室芸の醍醐味と痛感いたしました。
ああ……痛快。 - うのたろう
正統派純文学作品
シュールな文学作品……とひとことで書いてしまったら、レヴューとしては逃げでしょうか。
はっきりいって、この作品はむずかしいです。
内容が深く、しかも根の部分がおどろくほどに広いです。
ふつうの小説が電信柱なら、この作品は樹木。
しかも、間違いなく大木です。
樹齢何千年という、うんざりするほどの年月を経た、そいう存在。
街に一本絶対的に存在するのに、その樹木に対する思いは、人によって千差万別。
単純な言葉で自分の思いを語るのは、いささか客観性に欠けてしまいます。
登場する女と男。
彼女と彼の雨の日常。
レヴューでの説明としてはこれでじゅうぶんです。
これ以上の言葉はすべて意味をうしないます。
ネタバレなしに一度読んでみて、この小説の見えない部分――根っこの広がりをぜひ体験してみてください。
恋愛の形式をとっていますが恋愛にあらず。
高校の国語の教科書にのるような、おもいっきりの純文学作品です。
最後は雑にしめさせていただきます。
この作品。
すごいです。
まじで。 - NAO
雨のち晴れ
ショパンの雨だれからはじまった物語は、したたり落ちる雨音とピアノの旋律が響く中、静かに進んでいきます。
雨の日の、雨宿り。
麗とたまの掛け合いは、窓ガラスをはねる雨音のようにテンポよく小気味よく、まるで気まぐれな雨脚そのものでした。
部屋で傍若無人に跳ねまわるたま。
そんなたまをやんわり制する麗。
静と動。
動と動。
静と静。
二人のやり取りが紡ぎ出す旋律は続いていきます。
気まぐれな春雨はどこまでも気まぐれなまま、そしていつしか、雨はやみます。
晴れたら遊園地に行こう
そして、晴れがやってくる。
けれど、また、遊園地にいる間に、気まぐれな天気は雨を降らすかもしれません。
そして、その時に、また、二人の掛け合いが始まるのでしょう。
テンポよい言葉使いの中に、想像力がこれでもかとかきたてられる素晴らしい作品でした。