更年期……
いよいよか。
という感じを、なんか体感しているような。
まあ、仕方ないんですけどね。女性は、誰もが通る道。年齢を重ねることをマイナスに考えがちたけど、そうではないことの方に意識的に目を向けていきたい。
誰だって、老いに対する不安はあると思う。だって、死に向かっているのを実感なんてしたくないし、本能的に恐れて当然だから……歳をとりたくないというのは、どうしたって思ってしまうんだと思うんだよね。若い方がいいことの方が多いのは事実だと思う。
特に身体的な部分で感じるものに限っては、本当に若い頃の方が良かった事は多いもんね。体だって動くし、お肌だって労せずに綺麗で、疲れも寝ればすぐ回復するし、そもそもが……普通に、よく眠れる。歳をとると、若い頃のようには眠れなくなっていくのよね。やたらと眠れていた頃が嘘のようだよね~。たくさん寝れるけど、夜更かしも出来ちゃってたし。寝不足でも乗り切れちゃう!
よくそんなことやれてたな……って、今は思う(笑)。
私は初潮を迎えたのが、ほぼ平均年齢だったので、閉経も平均年齢くらいなのかもしれないとは、何となく思っていて。
個人差があるので、そこは実際にどうなるのかわからないのだけど。
終わり方も人それぞれみたいだからね。ぴたっと終わる人もいるし、最後の2回くらい大量だったという人もいるし……どんな風に終わるのか、終わりに向かうのかも、きっと本当に個人差が大きい事だと思うので、色んな人の経験を聞いても、自分がどのパターンに近いのかわからないのよねぇ。
だんだん量が減っていって、間隔が開いて、回数が減っていって……という人もいるしね。
個人的には……出来るだけ、体に負担にならない形でお願いしたいです💧
閉経への不安もあるけど、更年期障害の症状が酷くないといいなーの方が強いかも。更年期というのは、閉経の前後5年なので、閉経してみないとわからないらしいんだけど……私はもう更年期だろう、確実に。
嫌だよねぇ。生理が始まった頃は、本当に酷くて。陣痛か!ってくらいの痛みで、声も出せないくらい痛くて、脂汗をかきながら、シーツを握りしめて耐えていたので……こんなに苦しいのが今後40年位も毎月続くのか……と絶望的な気持ちになったものですが、いよいよ終わりに近付いてきたかと思うと……それはそれで、女性としての喪失感……?みたいなものを感じてしまうというか。
もう絶対に子孫を残せないと断定されるわけだから、それはそれで色々思うのですよね。一応、跡取り娘なので。
まあ……そもそも、私はここに存在していなかった可能性の方が大きかったと思うので、我が家が潰えるのは時期が延びただけって気もしますが。
(父には弟妹がたくさんいるので、そちらはちゃんと子孫繁栄してるから、血筋的には全く問題ないです。本家でもないし。)
30歳を過ぎたあたりから、こうなる未来は見えていたし、考えていたので、やっぱりこうなったかー……という感じでもあるのですが、私が生まれて喜んでいたらしい父には、少し申し訳ない気持ちはあるけれども。
まあ、こればっかりは……仕方ないよね。
自分の子孫を残したいかと問われれば、まあ……出来れば、残したい気はしていたと思うのですが、それに伴うリスクとか考えると、ね。
うちの父、盲目だったので。幸い、私は片目がちょっと強めの乱視ってくらいで、視力は問題なく。生まれてからずっと裸眼で暮らせているので良かったのですが、父親の遺伝子を貰っているわけだから、私の子や孫がそうならないとは限らないし、そうではない人に比べたら、確率としては高めなのだろうしね。ひとえに相手によるのだとわかってはいるけれど、かける勇気はなかったのでした。
娘だった場合、私と同じように前兆のある酷い片頭痛も遺伝する確率が高いわけで。そういうの考えるとさー……なんか、そこまでして残すべき遺伝子でもなかろうと。
『お母さん』にはなってみたかったですが、自分のことでいっぱいいっぱいの私が親になるなんて、おこがましいとも思ったりね。私は親との縁が薄かったし、家庭環境に恵まれていたとは言いがたく、歪んでいる自覚があるので……真っ当な大人に育てられる自信もない。自分がそうなれなかったのに、無理じゃないの?って感じていて。
どんな事があっても守っていく覚悟とか、何なら自分よりも優先していくくらいの責任感がないと!って思うだけに……それを備える、備えられたという自信が今でも持てなくて、ペットすら飼えてないので……人の親になるなんて、無理無理無理ー!!ってね。
難しく考えすぎているのかもですが、人とは違う生い立ちと環境で育ったので、色々ね……思うことがね、あります。
親を早く亡くしたというのも……大きいかなと思います。
母を亡くした時に、恋愛って……恋愛の情って、親の子への情に比べたら、なんて薄っぺらいんだろうなって思ってしまったので💧
私は血の繋がらない、生物学的には全く関係ない、赤の他人に育てられたというのもあり、そういう相手から、それまでどれだけのことをしてもらってきたかというのをね、改めて考えて、感じて……なんかこう……もう、ね。
恋愛は強い感情で、確かに強烈。でも、強く感じたことが正しいわけではないし、全てでもない。その気持ちが永遠に続く訳でもない。一瞬の激しさに飲み込まれがちなだけで。
私が義母の立場なら、同じことが出来たか?と。出来るわけないよなぁと。
それだけの事をして貰った。なのに、私は何にも出来ないままで、何も返せずに死なせてしまったという罪悪感に、今も苛まれているところがあります。
許されたいけど、許されたくない気もするのは、私のわがままなのだと思うのだけどね。
私の中に感じる痛みすらなくなってしまったら、義母がいたという実感すらなくしそうで。もうなくしかけているからこそ、手離したくないような。
心が痛むことで感じるものは、悲しみだけではないのですよね……。
人生とは、人とは……何とも残酷で、矛盾していて。けれど、私にはそれが、その拙さや欠けている感じが生々しくて、大切に感じます。時間が経つほど、記憶は曖昧に、手に残っていたはずの感触ももう思い出せず、失われるばかりだからねー。声すら、もう確実に思い出せなくなっていて。
亡くなった人は、生きている人の中で永遠だと言うけど、実際は……永遠なんかではないよねーって実感します。
更年期は、新しい自分になるための変換期なのだと思うので、前向きに迎えたいし過ごしたいし、乗り越えていきたい。
なるだけ変化に苦しまずに、穏やかに過ごして、乗り切りたいものです。
そういう時期で、今までみたいに上手くいかなくなってるなら尚更に、きっと頑張ってるんだよなぁって思うから……私の体は。労わって、大切に思ってあげたい。私くらいは。
そういう風に、自分を労わって思いやるための時間なのかもしれません。更年期というのは。
義母は、五十を過ぎてから私を育て始めたのを思うに……苦労したなぁとつくづく思います。
大正生まれですしね。長男に嫁いだのに子が出来なかった負い目もあっただろうなと思うのですよ。
そんな女性が、閉経をどんな気持ちで迎えたのだろうか……って、同じ年頃に近付いている私は、つい思いを馳せてみたりします。
きっと、色々思ったのだろうね。想像するしかできないけれど、彼女が想像していた以上に、辛かったかもしれない。絶望したかもしれない。もう無理だろうと思いながらも、生理がある限りは、可能性は0ではないから……少しは慰められていたかもしれないし。
でも、もう絶対にない。可能性がないとわかってしまうのは、恐らく辛かろうと思うのです。諦めがついて、肩の荷が下りたかもしれないとも思うけれど。
女性は、生物的に変化が大きい人生ですよね。初潮も妊娠も出産も閉経も、波の大きい人生を余儀なくされる。
妊娠と出産経験がない分、私は穏やかな生き方をしてきたと言えるのかもしれません。成人する前までが、かなり波乱万丈だったので……ほんっとに、穏やかな日常、人生が憧れで、切望していたので……ある意味、希望通りに生きてこられたのかもです。
そう思うと、私が好きなように生きた結果なのだなーと、家族がいないことも素直に受け止められます。
母が亡くなった時に、もう二度とこんな思いはしたくない!!と強く強く思ったので。
その時の気持ちに、正直に従ったのだなーと。別にそんなに意識していた訳じゃないけどね?
でも、過去には、プロポーズをしてくれる男性も……いました。
家庭を持って、『お母さん』になるチャンスは何回かあったはずですが、私はそれを選べなかった。
全部飛び越えて、この人なら!と手を取れるほど、好きになれる人に出会えなかったのかもしれない。けれど……勇気がなかっただけだよな~とも思っています。恋愛感情なんて、同じだけの熱量で続くものではないのだから、愛してくれる人と結婚して幸せになるというのも悪くないはずなんですけどね。
私は、愛されるより愛したいタイプなのですよねー。厄介なことにw
大切なものを、普通に大切にできる人になりたいのですが、それが……難しい。時々、私は粗雑に生きてしまうので。
そういう私が、他人を幸せに出来るとは思えなくて。
普通になりたい。普通に生きたいと思うのに、普通に恋愛する事も上手く出来なかったし、普通に結婚も選べず。そういう、普通を当たり前に選べる人生に憧れていたのに……結局、選べませんでした。やれやれ。
とりあえず、もうすぐ誕生日なので……労いたいです。私を。いや、ほんとにね。頑張ってるよねって、思う。普通には程遠くても、私なりには頑張って生きてる気がする。色々足りてないけどな、相変わらず。
人生を楽しく、明るく、いい方向に導けるのは自分自身でしかない。というのが、最近ようやく身に染みてわかってきたので、それに頭もついてきた感じなので……自分を大切にすること、愛することから始めたいかなーと。正しく愛したいなと。下手に甘やかすとかではなくてね。
歳はとるものだし、それなら、いいようにとっていきたい。手を伸ばして自分から受け取りに行くくらいの気持ちで。
受け身で、重ねられてきた感じだから。今までは。
これからは、進んで手を伸ばして、一年一年大切に、重ねていけるようになっていきたいなーと。
そんなふうに、思うようになりました。
月末に、一つ歳を重ねますが、そんな前向きな気持ちで、肩の力を抜いて、素直に受け止めたいです。
年を重ねることは、別にネガティブなことではないし、そんなに特別なことでもないよねって思うので。
生きてるだけでえらい。みんな、えらい。そう思う様になったのは、歳のせいかなーとは思いますがw
いや、だって、みんな、毎日頑張って生きてて、もうそれだけで……なんかさ、想像すると、本当にえらいじゃん。特別なことなんかしなくたって、生きてるだけで尊いのだと思うのですよ。
若い時には思いもしなかったけどね。そういう風に思うようになった自分は、ほんの少しだけ、好きかもですw
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