ファン
2

イト

日々を編む

2月 海


一年前この地で何も思わず、ただふらふらと生きていた自分が20
になり、ひとりで生きていても恥ずかしくないくらいには精神が成長した。ご飯を1人で食べることも目的もなくふらふらと歩くことも、電車に乗ることも、恥じらいは少し小さくなった。そして何より、学校に通って、アルバイトをしている。今日の夜中12時発表された成績、無事2年生になれるみたいだ。症状はたまに出るものの、これはもう自分が共にするものだと、起きても戦う術は身に付けていると、もう大人なんだから何されたって思われたってどうでもいいってこと、人のことは人にしかわからないし、自分のことは自分にしかわからない。一年前には真っ暗で自分に自信がなくて、どうせ自分なんてと本気で一年思った。この1年も特にテスト期間なんかは、自分はできない人間だと決めつける癖がついていた。
変わるのだ。やっても仕方ないかどうかはやってからしかわからない。やってもないお前のその思考なんてあてにならない。身内も親もいなくなった時、自分には自分しか残らない。自分をつくりあげる人生最後といってもいいチャンスかつ夢かつ期待、不安。どうせなら余裕で国試に通って、一生自分で勉強を続ける技師になれ。人の役に立て。それほど誇れるものなど他にあろうか。どうなるのも自分で決まる。決められる。SNSなんてみたってケータイを離したその瞬間何書いてあったかなんて忘れてるだろう。少しの努力と辛抱の先に無限に大量の知識が広がっている。20年生きてきてそんなことがやっと心で分かった。

帰りの電車まで30分ほどしかないから、早歩きで海に向かう。去年もここを歩いたなと、地図を見なくとも行き先がもうわかる。
駐車場にはエンジンのかかった車。
海の音が遠い。釣りをしている人々、猫と戯れるおじいさん。ベンチに座って母が握ってくれたおにぎりを食べる。もう恥ずかしくない。
向こうのベンチには帰り支度をする老夫婦。
子供3人の駆ける姿。
とろろ昆布のような昆布と、イカのきりみの入ったおにぎり。右上奥の矯正装置に引っかかる米粒は甘みが感じられた。黒猫と目が合う。浜に向かうと白いカモメ。風に煽られ跳び進めないように見えるがそれでもいい気がした。写真を撮りまた記憶の頼りにする。綺麗な貝殻を拾った。ポケットにいれ、駅で誰にもバレないように筆箱にしまう。ペンと擦れる音は軽かったが、繊細で刺激的な音だった。帰りの電車でこの文を打つ。
次の一年もまた乗り越える。明日、明後日、そのずっと向こう。
また強くなった21才であるよう祈る。また来年の2月何を思ってこの地を訪れるのか。訪れる余裕があるのか。なんだっていいけど、未来を思う余裕があることは幸せなこと。どうかこの幸せが続きますよう。どうか自分に誇りを持てていますよう。 2021.2.16

コメント

ログインするとコメントが投稿できます

まだコメントがありません