ファン
2

イト

日々を編む

夜 列車

疲れた 大層疲れている
春休みは残り1週間になった 来週の今日にはまた学校が再開している
なぜ自分がこんなにも話すことが下手くそになったのかずっと考えている チェックテストなるものを受けさせられたが、7.1の大差が開いていた。つくづくコミュニケーションが下手なのを感じる。なぜこんな人間になったのか考えてみたりする。小学生の頃には話すことが大好きだった。どちらかというと得意だった。話しすぎて空気を読めてない瞬間も多々あったように感じる
中学生で抑えるということを知った。周りは自分より可愛い人ばかりで、自分が話して前に出ることがいけないように感じた。可愛い人しか、面白い人しか話しては行けないと感じた。特に部活では長年仲良くしていた友人と共にいることがしんどくなった
今日こそ帰って親に泣きながら話そうと思ったことが何度もある。辛かった。小学生の時どの集団にも馴染めない子を見て、ずっと同じ集団に居続ければいいのにと嘲笑っていたが、ついに自分がその立場になったのかと中学生の頃に考えていた記憶がある。
こうして考えてみると、どこにも成長する機会がなく、徐々に自己が失われているように思える。こう言うとまた、どこかの心理学者が成長する機会がなかったのではなく、成長したくなかったのだと口を開くだろう。もううんざりだ。あの本を読むと、自分が全てに嘘をついて生きていることを見抜かれているようで、自己を否定された気がしてしまう。なんの自己啓発本でもないじゃないかと思ってしまう。
こんな話はどうでも良くて、成人式の時にあった同級生にご飯に連れていってもらった。若草山へドライブ。こんなにグイグイ来るとは思ってもいなかったので、しんどかったが、どこか悪くないと感じた自分がいる。でも付き合うとか、結婚とかなると周りの目と親の判断が気になってしまうんだろうと感じた。あと、彼氏をコロコロ変えて生きている私の友人はやはり好きでいてもらっているという安心感が常に欲しくてたまらないんだろうと思った。好かれる方法なんていくらでもあるけど、好きでいてもらう方法なんて人それぞれであるとあの赤色の車の中で感じていた。
友人の友人と居酒屋。同じ年とは思えないほどに大人であった。高校の頃から大阪に出て、部活も人脈作りも計り知れないほど頑張った事が嫌という程伝わった。話を聞くだけで話す隙もなく、とても気を使わせてることだけがあの時間心を苦しめていた。辛い。私はこの人たちとは生きていけないと思った。それは別に軽蔑とか憎悪などではない。世間を痛感させられたそれだけの事である。
島に行った。これほどまでに気が合う友人ができるとは思っていなかった。灯台の下で座ってテトラポットに足が触れるか触れないかの足のブラブラを覚えている。右には友人。あの時教室で会った横顔と一緒。マスクがなされる時代になってしまったけど。オシャレなカフェもお店も落ち着かないと同じ事に共感した。あーあこんなにも波長の合う友人がいてくれて本当に良かったと思う。1人で島に来ては不審者になるところだった。祖母の言う素敵な関係とは多分このことなのだろうと感じた。また次行こうと約束をした。やはり約束があることは未来があることを信じられる今があるということだし、生きるモチベーションにもなる。友人は少なくていいけど、一生大切にしようとあの横顔を見て思った。あと、体を寄りかけて寝られるという関係の人は大切にした方がいいと感じた。私の持論。
こんな文書を書いていると電車に乗るのも早く感じる。今日はカラオケの帰り。どうしても頭がぼっとする、また偽りの自分で接してしまったと後悔しながら手を振り、黙々と大阪を歩いた。コーヒー屋に入ってご飯を食べる。情けないけどまあいいやって感じ。
早く家に帰って、母のご飯が食べたい。
やはり晩御飯を家族と食べないと悪い気をさせた気がするし、実際悪い気がする。やっぱりいつまでも離れられんのかなあ、これは普通じゃないんだろう。自分の愚かさと未熟さを完璧に理解してくれる人なんて私に口がある限りいない。でも知って欲しいと思う自分がいる。なんかもう疲れたあと5分だけ目を閉じる。列車はいつも通りのスピードで大きな駅に向かう。別になんだっていいけど、なんだってよくない自分もいる。なんて面倒くさいやつだ。みんなこんなものなのか。なんだってよくないけど、なんだっていいや。

ここに書く文章は口で話すよりもスラスラ出てきて、あっという間に時間が経って、夢の中を一気に回想していた気分が味わえる。たまに書こうこの日記。自分を言葉にして表すことは大切だ。何より気持ちが良い。 これを書くとなんとなく自分を愛せるようなそんな気がする。40分間の列車なんてあっという間で気持ちが良い。ではまた会おう。元気で。

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