ファン
1

れんのちあき

『れんのちあきの詩の小窓』

恋の詩・散文集を公開しています。

座右の銘:転んでもただでは起きない

好きな言葉:希望はあなたを捨てはしない。あなたが希望を捨てたのだ。

best favorite smile:SHINeeのオニュ♡
 

 

page12『敬老の日に寄せて』

こんにちは。のぞいてくれてありがとうございます。

蒸し暑い夜はすっかり過ぎ、月夜を見上げたくなる季節になりました。今月のスーパームーンは見ましたか?

昨日は、敬老の日でした。読者さんは、おじいちゃん・おばあちゃんと、なにかコミュニケーションしたでしょうか?

私の祖父母は、今はどちらも他界しています。
もう何年も経つのですが、今でも時々、夢で会うことができます。

どちらかと云うと、私は”おじいちゃん子”でした。背が高くて(180cm近く)、ハンサムで、自慢のおじいちゃんだったのです。若かりし頃は、モテたというのも納得(本人が言ったのでなく、おばあちゃんから、愚痴まじりに聞かされたのです)。

性格は、ほどほど頑固(若い頃はかなり頑固だったそう)。
そして、私が大好きだったところは、とっても器用!(子どもの目からは、何でも出来ちゃうおじいちゃん、でした)。
犬小屋作りなど日曜大工はお手の物、そしてミシンを使ってお裁縫も、祖母や母の女性陣以上に器用にやっちゃいます。学校の体育祭の鉢巻きは、ずっとおじいちゃん頼みでした。

初めてディズニーランドへ行ったのは、おじいちゃんとでした。オープン間もないころです。
最新のミシンもワープロも真っ先に買っていた、新し物好きのおじいちゃん。ディズニーランド、楽しんでました。リアクションは子どもみたいにはしゃぎはしないけれど、楽しんでるな、と一緒にいて感じました。
ジャングルクルーズにも、カリブの海賊にも乗り、人混みの中、席を見つけてピザも食べました!

そして、そろそろ一日の終盤。
座ったベンチの先、ゆっくり水面を進む大きなクルーズ船に目線を向け、おじいちゃんが私の隣で独り言のようにぽつりと「あれ、乗りたいな」と言ったのです。

その瞬間、初めて見るおじいちゃんがいました。私のおじいちゃんが、おじいちゃんじゃないような。
懐かしむような遠い目、そしてキラッと輝いたように見えた純粋な目をしたおじいちゃん……”祖父”ではなく、その瞬間は、ひとりの青年を見たような気がします。

その後、船に乗ったかよりも、ずっと色濃く切り取られて胸の中にある思い出です。

私が物心ついたころには既に定年退職していたおじいちゃん。3匹の飼い犬の世話のほかに、釣りや狩猟など多趣味で、悠々老後ライフを満喫してたように思います。

春には山で山菜の種類を教えてくれたり、夏には市民プールに連れてってくれたり、庭で花火をさせてくれたり、秋には大好物の茹で栗の皮を山盛り剥いてくれたり、冬には餅つきをして、つきたてふわふわのお餅を食べさせてくれたり。
子ども時代に体験した季節の楽しみは、全部おじいちゃんがくれました。

70歳を過ぎても、元気に山道を歩いていたおじいちゃん。80歳手前で脚が衰え、体調を崩してからは、あっという間に悪化し、80歳で去ってしまいました。

死後、出てきた、軍服姿で馬に乗っている、凛々しいおじいちゃんの写真を、私がもらうことができました。親戚の話によると、場所は中国とのこと。そういえば生前、戦時中は中国に、とちらっと聞いたことが。それ以上詳しくは聞けずじまいで残念。
そして、他界する数日前、叔母が夜に病院で付き添っていると、おじいちゃんがうわ言で中国語をしゃべったことも後になって聞きました。家族の誰も、元気なときに聞いたことがないのに。
一度覚えた言語は、しゃべることがなくなっても、頭に刻まれて消えることはなかったということでしょうか。

今でも時々、祖父母のことを思い出すにつれ、後悔なしの人生ってないんだな、と思います。
もっと孝行したかった。せめて、あの時もう少し感謝を伝えていれば、、あの時もう少し良いことをしていれば、、と悔いばかりです。

これを書きながら今、そういえば敬老の日の翌日16日は祖母の誕生日だ、と思い出しました。
思い出せてよかった。

またきっと夢で会えるから、寂しくないよ。

ではでは。よければ、またのぞいてください。

DATE: 09/16/2014

コメント

ログインするとコメントが投稿できます

まだコメントがありません