愚図

ARK


苛立ちを、抑えるとは一体どういう思念で成り立つものなのか、ほとほと理解出来ない。
必要に感じた筈のものたちを失っていくのは不必要になってしまうからであって、ある一定の知り得た(習得した?)状態になってしまうことや近付き過ぎる(必要以上)ことは全く望んでいるものではないのだ。
うんざりしてしまう程には側に置きたくなくて、程良く‥というのはまずまずお互いに共通していた認識ではなかったの?と思ったりする。
失わないためにその一、といつだって考えあぐねているのに。


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福の神だ、と言われて豆鉄砲。
福の神?福の神。
君が一体いつ福を運び込んできたというのだろうか、と考える。
私があのひとと同じ呼吸をすることに殆ど悦っているのは決して福の神だからなどという理由ではない。
あのひとを崇拝しているのかもしれないと思うことはあるけれど。

ニュアンスは違えど固執されているのだという自覚はあるようで納得はいく。
あのひとは私の人生で、全てだ。
それを認めるのは、紛れもなく私だけだ。




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