ヘ(・_|おはようございます|ω・)
今週、期間お読みくださった方、スタンプくださった方、しおり下さった方、ありがとうございました。
<(_ _)>
二人の人が、こっそり隠れながらなんかしてるタイトルにしてみました。
ふふふ、その心は、もちろん
隠れたい!
ええ、今後の掲載予定です。
2月 きみどり② 第6章 裸の王様 執筆中 1.4万
3月 未定
4月 未定
1月に、掲載すると言っていた第6章が終わらなかったですねぇ。
やばいなぁ。なんか執筆のペースがドカンと落ちてますね。
だめだだめだを書いたのが12月ですから、1月になってから1.4万しか書いてませんねぇ。
エッセイは書いてるんだけど、エッセイと小説はちょっと違うからなー!
……
ま、気にしてもしょうがないっか!(といいつつ本当はそれなりに気にしてる)
春節明け、写真入りでエッセイを書きつつ日本を堪能した休暇はどこかへ吹っ飛んでいきました。
「○○さん」
「○○さん」(本名)
あっちからもこっちからも声がかかり、メールが入る。
やだ、わたし、モテてる♡
と、思って乗り切りましょう。ただ、単純に皆、私に用事があるだけです。
その用事がよ、
味噌カツ、黒胡椒、またたび、タバスコ、マグロのネギトロ丼……
ええっと、バランスが悪いな、ここに洋物を、
タコス、ナチョス、チップアンドフィッシュ(←ポアロの影響、つうか、ヘイスティングス大尉)
せっかく、中国にいるのだから、中華を、
酸菜鱼,烧烤,アーンド、老干妈!(わかる人にはわかるこのネタ)
で、なんでしたっけ?なんか食べ物の名前と調味料を並べるのに楽しくなっちゃって、言いたいことを忘れました。ええっと、そうそう、その用事がよ、
難しいものから、どうでもいい雑事まで種々様々でさぁ、
私は一体、どんな仕事の担当なんだろう?
ホエエ?(埴輪再び)
「へいらっしゃい」
タコもアナゴもマグロもいくらもイカもコハダもなんでも握るよー!いえーい!
(大好きなお寿司の板さんになったつもりで乗り切ろう)
忙しかったよ!!結局これが言いたかった。
ただね、本当に忙しかった地獄の淵のようなところは越えているんです。その余波のようなところにいながら、まさに火山の横、溶岩のドロドロしたのが見える横で、
「はー、一服しましょうかね?ヨッこらしょっと」
頭にはピクニックに行く時におばあちゃんが被りそうなハット、そして、首回りには銀行さんとかが時々贈答品として配ったようなペラペラの白いタオルを首にかけ、仏顔の中年太りのおばさんが、石に腰掛け……
(名誉のために言っておきますが、脚色のために本物の自分よりも違う役柄で書いております)
茶を飲むのか?そうだなせっかくだから茶も飲もう。茶を飲みつつ、
「楽しい♡」
伝票を折っておりました。キレーに。
チーン
あのね、最近つくづくと思うんです。経理や会計って向き不向きがある。あたし、意外と向いてるんだわ。伝票を折るのが好きだからってのは冗談で、延々と物を整理するのが好きな人間なんですよ。数字やデータもね。特にお金のデータ。
いろんなとっから、あれやれこれやれ、あれはどうなってる、これがわからなーい。
ギャンギャンバリバリ、いろんな人が声欠けてくる横で、チコッとした暇見つけて伝票を綺麗に折ったり、銀行の振り込み証明を印刷して、あれはA4に2枚でくるからな、真ん中でピリピリ破ってさ、担当に配ってシステム入力させてさ。かと思えば、前期と今期のBSを比較して、変化の大きな部分に対する原因の解答、ここで数字を確認してる時ですね、ワクワクした。
ああ、私って、結構会計好きなんだな。
今後も会計関係で仕事を続けていくんですが、自分の知識で大丈夫かと拭いきれない不安があって、でもね、改めて実感しました。私、会計、ケッコー好きだなと。
だから、もうこの年だけど、好きなことなんだからできるとこまで勉強しようと改めて思いました。
からの、ですね。
私が好きで得意なのは会計だけじゃなくて、人間の心理的な部分について観察、考察することでもあるはずで、だから小説なんて書いてるんだけど、そっちへの関心がちょっと落ちちゃってんだよねぇ。一時的に。すみませんねぇ、私、一つのことにのめり込むと他のことが手薄になる人間なんです。ここ数年は小説にのめり込んでましたが、今、転職することもあって会計に関心が移ってるかも。
流石に草鞋が多すぎるかなぁ。困ってしまいました。
と思いつつ、でもね、裸の王様の場面も頭には浮かんでるんです。
これはもうそこまで時間をかけずに出せるだろうと思ってました。
疲れて寝てしまってたり、用事があったりでなかなか時間が取れなくて、夜より朝だなと今朝早く目が覚めて、誰も起きてない静かな家の中で書こうかなとしてた。
すると……
なぜか息子が起きていた。そして、
「マイクラやりたい」
小説用のIPADを奪われました……
クー!!!
お寿司を取れば、サーモンとイクラを奪われ、焼き鳥では、脂身と鳥の皮をあてがわれ、蟹食いにいっては、母〈 息子 の値段でコースを頼む。自分には確かに入江くんのような冷たいイケメンにすげなくされたいというM的欲求があるけどさぁ!それをなぜか親子で上下関係逆にしてネタにしているフシはありますけど!!
「お母さんが使う時には返してもらうよっ」
「はーい」
結局これしか言えない。
そして、手持ち無沙汰な状態で貴重な早朝にかつて自分が書いた神様の手の①を読み返してました。
いやあねぇ、荒さが見えましたねぇ。
この作品はですね、結構頑張って書いてるんです。でも、今、みてみると行間の訥々としたぎこちなさのようなものと、それと、心理描写の荒さが見えました。
春樹くんの心理、暎万ちゃんの心理、そこがまだ心の底というのですかね、そこまで辿り着いてなくて、この先があるなというのが見えたんです。
もともと二人の悩みや気持ちというのは、私がしてきた人生経験の中で自分が感じたことを発端にしているのですが、そこがまだ、私、悩み尽くしてないというか、言葉に還元し尽くしてない、先があるなと見えたんですよね。
うまく言えないんですが、会計のことを考えていても、なんとなくこんな感じで、こういうことを見てみたいという自分がいるんです。私はまだ会計技術が未熟で、でも、だからこそ今はまだみることのできない、お金の流れの不思議とでもいうんですかね?経営というのはお金と切ってもきれないものですから。そういうものがあるんだなとぼんやりわかるようになったというか。
それを人の心に置き換えてみて、人生の途上で時々ぶち当たる心の問題、トラブル。それをつまびらやかに言葉に落とすというのは結構難しいことで、私はまだそれについても奥の奥まで見切ってないなぁと。
どちらに関してもですね、それを極めて成功したいとか有名になりたいとか、そういう欲が全然ないかと言ったら嘘になりますねぇ。私も人間です。欲はもちろんある。
ただ、本当に純粋な自分。自分の芯にある欲望、それは、知識欲なんだなと思うんですよ。
ただ、見てみたい。知りたい。そのために自分は勉強をしたいというわけで。
私はもともとはそういう人間だったはずですね。そして、もし私が周りの人に愛されるとしたら、やはりそういうまんまの自分なんだと思うんです。
辿り着かないまま、死ぬかもなぁ。
今日もまた、淡々とそう思いました。
人間ってきっとそうですよね。いつもはただ黙々と山肌を、急勾配になったり緩やかになったりする山を、山肌だけ見ながら黙々と登る。人によっては、休憩をよくする人もいるだろうし、途中で登るのをやめて小屋を建てて住み着いちゃう人だっているだろうし。
どこまで登るのかを決めるのは自分。
だけど、時に頭を上げて山頂を見上げますよね?
たどり着かないまま、死ぬかもなぁ。
ただ一つわかっていることは、私は今、自分が何をやりたいのかということはわかっているってことですかね。やり続けられるかどうかは別なんです。
不思議ですね。自分は、今感じているようなことをわかるまでに本当に長い時間をかけてしまいました。時間を無駄にしたなと思います。そう、道に迷ってたんですね。
だから、死ぬまでにたどり着かないかもなぁ。
ちょっと困ったな……困ったんだけど、でも、苦しくはないかなぁ。
今になって思うんですが、まだぼんやりとしか言えないんですけどね、きっと私のような人が他にもたくさんいるんだろうなというのが、今わかるんです。
成功する人と成功しない人の違いは、自分がやると決めたことを諦めずにやり続けるかどうかだと若い時にとある人に言われたことがあるんですが、その時、腑に落ちてはなかった。
今、腑に落ちました。本当にそれしかないなと。
生まれた時から成功すると決まってるわけじゃないんだなと。
成功する人はやっぱり子供の頃からなんか違う。普通の人とは違うと思い込んで、それでね、意外とこれあると思うんですが、自分の心の中では、自分は人とは違う特別な人なんだと思い込んでいる。
実は意外とこういう人って多いのではないかと思うようになりました。
井のなかの蛙というやつで
みんな、自分の描いた妄想の中で生きていて、妄想の中での自分は英雄なんですよ。だけど、現実には英雄の自分は存在していない。現実には英雄の自分はまだ存在していない。これから存在するんだぞと信じてる。
でも、その妄想の中の大切な蛙を現実の中に晒す勇気がないんですね。
そして、蛙を大切に守りながら、年をとってしまうわけです。
そういうふうに考えてみると、世の中の人って実はかなりたくさんの人が、微妙に狂ってるんだな。
そんな大切な蛙を安全な井戸から出してしまう。やはり全ての人がうまく行くわけはないと思います。途中で車に轢かれて潰れてしまうかもしれない。だけど、人はやはり井戸から出るべきなのかもしれませんね。
生きているのならばやはり死ぬまでに、本当の景色というものを見てみたいではないですか。
途中で潰されるかもしれないけれど、だけど、成功して英雄になる可能性は、誰の手にだってあるんです。
英雄は最初から英雄だったわけではなく、たどり着いたから褒め称えられ、そして、この人は生まれた時から特別だったなんてレジェンドを与えられるだけなんだよ。
そんな全く途方もないことを頂上を眺めて考えた上で、やはり今日も山肌を眺めましょうか。
そして、今日の私のために今日できることを。
未来はたくさんの今日を積み重ねた先にしかありませんからね。
私の未来はやはり今日も見えません。
でも、昨日の私より私は強いようです。
それではみなさま、お約束破りましてあいすみません。
今週こそ新作をお目にかけられますように。
良い週末をお過ごしください。
汪海妹
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