【建治元年五月二十五日、桟敷女房、聖寿五十四歳、真筆-断存】
女人は水のごとし、うつは(器)物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがはさる。女人はふね(舟)のごとし、かぢ(楫)のまかするによるべし。
しかるに女人は、をとこ(夫)ぬす人なれば女人ぬす人となる。
をとこ王なれば女人きさき(后)となる。をとこ善人なれば女人仏になる。今生のみならず後生もをとこによるなり。
しかるに兵衛のさゑもんどの(左衛門殿)は法華経の行者なり。たとひいかなる事ありとも、をとこのめ(妻)なれば、法華経の女人とこそ、仏はしろしめされて候らんに、又我とこころ(心)ををこして、法華経の御ために御かたびら(帷)をくりたびて候。
法華経の行者に二人あり。
聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はただひとつきて候かたびらなどを、法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏をさめさせ給ふなり。