14歳の栞
みんな思ってることはあって、静かな子も、うざいこも、うるさい子も、実はみんな真面目で、自分のことだけ考えてる様で実はそんなことなくて、いい意味でも悪い意味でも周りはちゃんと見えている、分かっている。
そのうえで知ってるような知らないフリや、知らないようで知っている振りをしていて、その集まりがクラス、集団になる。
みんな嫌で、でもみんな好きで、それを表すのが難しくって、嫌ってるようにも見えて、好いているようにも見えてしまう。35人の中に私と同じ気持ちの子はいなかった。
みんな抱えてる気持ちのベクトルが一人一人沢山あって、あちらこちらを向いている。それは例えば、あの子が好きとか、嫌いとか、苦手とか、自分が好きとか、素敵とか、気持ち悪いとか、ゴミはゴミどうしで遊ばせておけば良いとか、14歳ならではの様々な感情のベクトルである。
このひとりひとり、一つひとつのベクトルは、遠くから見ると実は自分の苦手な子とか、クラスのうるさい子、静かな子が持っているベクトルと実は同じ方向を向いているものが多少はあるのだ。でも14歳のとても狭い世界ではそれらを遠くから見ることが出来ない。それはクラスというくくり、14歳という若さ故の狭くて華やかな視野であるからである。
大人になるということはその華やかな視野が段々と広がるにつれて、華やかでは無くなるということだと感じた。華やかでは無くなるというか、華やかだったものに薄い布を掛けて、色彩をふんわりとぼんやりと優しい色にするという感じ。
大人の視野も子供の視野も見方によってはどちらも憧れであり、美しい。だがしかし、私たちは子供としてしか生きられない期間があり、大人としてしか生きていくことが出来ない期間がある。未来と過去を羨んで生きてしまうことがある。大人になれば子供の頃を羨むし、子供であれば大人を羨む。それは仕方の無いことである。羨むことでこころが落ち着くことがあるし、焦燥に駆られることだってある。いい意味でも悪い意味でも。
早く大人になりたいと言う子が多かったが、それは大人に希望がある、ということで、言い換えれば今の自分の環境や、自分自身があまり得意ではないということ。私自身、早く高校生になりたい、なって性格を変えてやりたい、もっと分かり合える友達が欲しい、やり直したいと思っていたが、21歳となった今性格はほとんど変わっていない。変わったのは環境だけで、自分の性格は大して変わってないのかもしれない。性格は変わってないけど、自分の思いや生き方は環境に揉まれて具体的には分からないがなにか確実に変化を遂げている気がしている。
生きる世界は生きるにつれて広くなる。私の反省と喜びと後悔と、言葉では表せないような心に潜んだ思いが私を世界へと連れていく。
どれも飽きっぽくて、嫌になるほどの自分にも14があって、14を生きて、大人を羨んでいた。7年たった今大人になった、これが私の羨んだ大人だろうか、まだまだやれること、やらないといけないこと沢山あるだろうと感じた。頑張れ大人、君は14を生き、大人を羨んだ。頑張れ大人、14の君に羨ましがられる大人であれ。
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