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イト

日々を編む

夕方、歩いて帰路に着くと月に出会う。先週の今頃に見た月はもっと細くて、自転車を呑気に漕いでいる私にしか見つかってないのかもしれないなんて思うほどだった。それが次第に膨らんでいく。私の知らないところで膨らんでいく。満ちていくにつれて焦りが出る。満ちることがゴールでもなくて、欠けてなくなることがゴールでもない。月はずっとそれを繰り返しているのだと思うと、私よりずっと寂しいものなのだと思った。
同い年が卒業旅行に出ている投稿をよく目にするようになった。海外旅行とか、個人にしてはすごく大きな経験でワクワクすることがたっぷりなんだろうけど、集合の中の個人を見ていると、そんな価値も薄れどうってことないように見える。
個人にしては大きな決断だとしても、他者から見れば別に大したことはないんだなと思う。そんなもんだ多分。
しょうもない話でもしないよりはマシだと、最近思うようになった。沈黙していては本当に何も生まれない。沈黙には想像の限界がある。だからそれを少しでも打ち破ることで、芽を育てる。どうってことないことから生まれるものがある。どうってことない話からどうってことない日が生まれる。それすらしなければ何も生まれない。頭を柔らかくそれでいて心はすべてを受け入れられるよう。気になったことは聞いた方がいい。そこから生まれるものが確実にある。ただ失礼のないように慎重に。
春が来ている。三寒四温を突きつけられる。春の雨にもあった。夜に見る梅は暗くて不安な気持ちを軽くしてくれる。そのもりもりとなった花は振ると音が出そうなマラカスみたいだと思ったりする。ピンクの梅もいいけど白の梅だともっといい。どんなに暗い夜道でも街が明るく見えるから。誰もいない夜じゃないように思えるから、梅や桜が咲いている春の夜がちょっと好き。
日曜日同窓会が行われる会場。私はその2日後同じ会場で開かれる就職説明会に行く。悲しくもないがなんか、こうしてすれ違いながら時は進んでいくものなのだと痛感する。今となっては同窓会に行かない決断をしていて良かったと思う。社会人になる同い年と大学四年になる私がうまく噛み合うことを想像できない。過去の話に花を咲かすことはできても、未来の話には水をやることしかできない。今はただ自分と向き合って、自分と仲良くすることのほうが有益な気がする。
柔らかく、ひとあたりよく、しなやかに、自分を大事にしたら自分に自信がちょっとつくことがわかった。面倒のその先にいくとちょっといいことがある。辛いことや悲しいことの先にはちゃんとそれに比例したいいことがあると思えるようになった。春、自信のある自身を生きる。

映画 街の灯りとたかが世界の終わりを見た夜
そういや一年前の今日一人で旅に出たことを思い出した。一年なんてほんとすぐだ。良い未来を想像して今だけを生きる。

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