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汪海妹

ワンハイメイ

2019年の夏頃より小説を書いています。

一番最初は主人公たちが高校生から大学生になる頃を扱っていて、その次と次の次はそのまま彼らが親になって大人になってゆく世界を書きました。その後、そのまま作品の中に出てきた脇役を今度は主役にし、以前の主役達を脇役にするという形で、どんどん作品数も増えました。

自分の作品の中で一番読まれている作品は、木漏れ日①というもので、これはリーマンを卒業して起業する…

おはようございます

今週既刊お読みくださった方、ありがとうございました。

m(_ _)m

今月はエッセイ以外は新しいものを出していませんが、それでも既に出しているものを読んでくださる方がいまして、嬉しかったです。^^

今後の掲載予定です。

5月 未定
6月 木漏れ日そのに 執筆中 7.8万字
7月 未定

調子に乗ると次から次へと物語の場面が頭に浮かんできて、それを必死で追いかけながら言葉にしているのですが、現在ちょっとリアルの生活の方がバタバタしてまして、心があそぶ余裕がないのかなぁ。
ちょっと小説を中心に回せておりませんで、その状況でさらに落ち込むという負のスパイラルにハマっちゃったかなぁ。

今週の私の魔法の言葉は、どっかでも書いたかもしれませんが、
嫌われる勇気の中で出てきた コップの中の嵐 です。

会社の中で起こっていることの負の出来事をあれこれ思っては、私はいつも出来事がどういうふうに転がっていくかをシミュレーションする癖があるんですね。パターンA、パターンBと描いてはため息をついてました。

で、コップの中の嵐 です。

自分は、会社にも属しているけれど、もっと大きい国に属していて、世界に属していて、そして、宇宙に属している。宇宙から今自分がいるところをのぞいてご覧。それは、コップの中の嵐なんだよと。

そして思うのです。今、私の身の回りで起こっていることは、会社の中では仕方のないことで済まされていますが、もっと大きい共同体から見たらどうなのかと。

そして、自分のことですね。
やっと自分のずっと夢だった文章を書くと言うことを始めることができました。
読んでくれる人もいます。
そして、こういうことをこういうことのために書きたいというのも朧げに見えてきた。

今、自分の命をどういうふうに使うべきなのか。
プロかアマかなんてことには今こだわっていないのです。
でも、書き続けなければならないと思ってて、だから、今、どうしようかなと。

その答えは見えた気がします。

貴重な経験をしたなと。嫌な経験であってもね。
思うに、経験というのはね、人の中で熟成を得て何かになるんですよ。
だから、最近自分に起きたことについてもゆっくり考えていきたいなと思っているんです。
そして、どこかの未来にリアルの私の周りの人たちに迷惑がかからない形で言葉というものに置き換えられたら。

一つ、今週ふと心に浮かんだことを。
度々私の文章の中に出てくることですが、昨年やめてしまった部下のことです。

彼女を大切にしていたのは私だけではなかったなと。思い出した。
昔、面白いことがあって、入社したての頃です。
財務をしたことのない日本人女子でした。
でも、日本人だってことで周りの中国人の子たちがチヤホヤしてくれて、
私の前任者の日本人女性が財務課長の肩書きだったので、私のこともスライドで課長、課長と呼んでくれたんです。

その度に、当時の私の上司で現地トップが

「この人は課長でないから課長と呼ぶのをやめなさい」

と私のいないところで触れて回っていて。ハハハハハ
それで、部下に仕事のことで確認するために席へ行ってパッと2人で並んでパソコンの画面を覗いた時に彼女の開いているメールにずばり課長と呼ぶなという文面がもちろん日本語で書いてあって

「「あ……」」

2人で困ってしまったという今となっては笑い話がある。

もっと時間が経ってから、彼女を課長にするために私がさらにその上の経理というものになった。下から上げてもらうという不思議な昇進をした。

財務課の中で誰が一番会社に貢献しているかというのをわかっていて、私が日本人だからと言って財務経験のないものには簡単には課長というタイトルは渡さない。(もちろん日本ではそんなことは起きないのはわかってます。ただ海外というのは日本人というのは自動的に管理職のポストに着くこともあるのです。飾りになってしまうのですが)

そして、日本人と中国人をちゃんと公平に見ていて、素人である私をプロである彼女の上に置くときに、非常に気を使われていた当時のトップが懐かしいです。私を課長と呼ばずに私に会社でのあり方を理解させ、でも、頑張って仕事をしたらその数年後には認めてくれた。

そんなに大切にされていた人をあんなふうに去らせてしまったということが悔しくてならないのです。
自分は本当に常にベストと言える行動を取れていただろうか。時がたっても思うと思う。
自分の中で残り続けて変わり続けるだろう石のようなものを拾ったな。

貴重な経験をしました。
中国人、日本人、分け隔てなく公平に扱い、ダメな時はダメ、いい時はいい。
会社の中のパワーバランスが傾かないように、みんなと近すぎず離れすぎず、そういうあるべき姿というのに触れた後に、上の方達がどんどん変わられて、その度に変わっていく会社というものを見た。

いいこともいっぱいありました。
自分は精一杯成長したと思います。私なりに。
私は芸術家であり、会社員には本来向いていないのだけどな。ははは。

若い頃の苦労は買ってでもしろという。もう若くないのだけどな。
神は乗り越えられない試練を人には与えない。
誰もが私がしたような経験をするわけでもなく、また、同じ経験をしたからといって全ての人がそれを糧に成長するというわけでもないと思うんです。

人間というのはやっぱり基本は1人で生きていて、そして、舟に乗っており、波の上に浮かんでいるのだと思う。櫂は自分の手の中にある。辿り着こうと思えば本来、人1人の手でも思いのほか遠くまでたどり着けるのではないでしょうか。

人間は1人だと書くと、それはとても孤独だと思う方がいるかもしれません。
私の中に浮かんでいるイメージはそんな荒涼としたものではないんですね。

人間は1人だと私が書くのは、それは、櫂で舟を漕ぐのは自分でなくてはならないからです。
他人の力で動いてはなりません。動く力は自分からでなくては。
どんなに非力な小さな力であっても、1人で立ち、1人で考え、1人で動き出す人だからこそ、

他人に手を差し伸べることができる。

そうやって、私も、しっかりと自分の足で立ち、歩んでいる方たちから手を差し伸べられてきた人間だからこそ、人は1人だと書きたいのです。

「この人は課長ではありません」

と書かれた文面を部下と二人で覗いたあの思い出。あれは死ぬまで忘れない宝物です。

人生にはきっといい時も悪い時もある。
でも、あの時あの画面を覗いていた私たち2人。
あれから協力して仕事をしていたあの期間、2人とも輝いていました。仕事の面でね。

これからどんなことがあって、どんなことをされようとも、私から私たちからこの思い出は奪えない。
2人とも、あのトップの方のされ方が好きでした。

この人は課長ではありません事件から随分たった後に、

「あの時、どうしようかと思って困りました」

と部下に言われて2人で笑った。日本に帰られた後も、時々2人で思い出しては懐かしんでいたんです。

これから自分が何を選び、どのように行動して生きていくとしても、
あのかつての上司に自信を持って堂々と会えるような自分であり続けたいと思います。

これを書きながら、かつての上司を思い出して、元気になりました。
それではみなさま、良い週末をお過ごしください。

汪海妹

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