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汪海妹

ワンハイメイ

2019年の夏頃より小説を書いています。

一番最初は主人公たちが高校生から大学生になる頃を扱っていて、その次と次の次はそのまま彼らが親になって大人になってゆく世界を書きました。その後、そのまま作品の中に出てきた脇役を今度は主役にし、以前の主役達を脇役にするという形で、どんどん作品数も増えました。

自分の作品の中で一番読まれている作品は、木漏れ日①というもので、これはリーマンを卒業して起業する…

おはようございます(^^)/

今週、既刊お読みくださった方、
スタンプくださった方、
しおりくださった方、ありがとうございました。

m(_ _)m

結構、ちょっと今、色々大変でして、どんよりしては、
読んでくださってる人の数にヒジョーに励まされました。
ありがとうございます。

今後の掲載予定です。

6月 木漏れ日そのニ 執筆中 9.6万字
7月 未定
8月 未定

テーマのようなもの、というか、テーマソングが決まりまして、
一部にちらっとだけ歌詞を引用させていただきました。
もちろん自分が書いた歌詞ではないので、引用を注釈として入れさせていただきます。

なんの歌なの?というのはお楽しみで。私が数年前に聴いて非常にのめり込んだ一曲です。

歌詞は一部しか出てこないですが、それを背景に流れるテーマにしたいなと。
大人でもない子供でもない時期の人の心の中にくっきりと傷をつける記憶、あるいは思い出。
大人になっても疼くその傷が過程を経て、過去に変わるということなのかなぁ。

自分がもう大人なので、残念ながら今、その色鮮やかな世界にいてそれをそのまま描くというタッチにはならないんですね。いわばセピア色のノスタルジーこもる描写になるのかしら。

あの頃はなぁ、何もかもが輝いていたよなぁ。
作品をちまちまと書きながら、頬杖をついて追憶に浸る。
失う前は、それを失うなんて思っていなかったよ。
あの、何もかもが初めての出来事で、新鮮だったこと。

それが、まるでコンビニの棚に置かれて売られているもののようにありふれて見え始める未来が待っているのですよ。恋愛なんてね、そんなもんです。

良い恋愛をするのに大切なのは、錆びない感性ではないですかねぇ。
歳を取っても恋愛現役の、いけない大人というのも時にいますがね。
大人の恋愛というのはさ、その当事者だけで楽しむものであって、私に語ってる時点で(自慢されてるわけ)なんかちょっと違うと思うぞ、と思いつつ優しい私は何も突っ込まずに聞いているわけです。
そして、最近必ずいう一言。

「ぜひ、その素敵な経験を小説にしてください」

ほぼ100%で断られる。
ネタを提供しますとか言って時々自慢話を聞くこともあるのですが、つまりそれで私に書けと。

「いや、そんな勿体無い。ぜひご自身のネタはご自身で作品にされてください。今は誰でも書いて発表できる時代ですよ!」

だいったい、断られます。ふふふ。こういう悪戯が最近楽しいです。

今は話のメインの部分を書いていて、この流れを一回書いた後に、追加エピソードを入れながら形を整えようかと思ってます。もうちょっとお時間いただきますかね。

今回、こういうふうに書きたいなというのが少しあって、そうですねぇ。
出てくる女の人がね、いい人なのか悪い人なのか、そこがどちらとも取れるような仕上がりにしたいと思ってるんです。それだけ、言葉少なめに書きたいなと。
しかし、それに矛盾するようですが、ぎりぎりの情報は入れたいなと。
つまりは、どっちかよくわかんないとぐるぐる迷うような。

盛り上げるためか?違う。

それが、ずぶりとはまってしまった恋愛の苦しみだよなぁと思うからです。
相手を好きになると、その相手が忘れられずに、その人をいい人だと思いたい。
別れて離れてしまっても、過去に遡って少しでもいい人だったと思いたい。

その苦しみに寄り添いたいなと。

これ以上話すとネタバレだね。

それではここまでで店仕舞いいたします。
完成した暁にはぜひ読んでくださいね。

今週末は端午節で三連休でした。

木曜の夕方に

「端午節、快楽!(ドゥアンウージエ クアイラー)」

ビバ、端午節、みたく言って帰ろうとしたら部下に怒られた。

「端午節はおめでとうと言ってはいけません。アンカンというんです。ドゥアンウージエアンカン」

安康、かな? 安らかにみたいな意味ですね。

「なんで?」
「端午節は昔不幸にして亡くなってしまった英雄を悼む日なんです」
「あ……」

確かにそうでした。なんか聞いたことあるぞ。

「それは大変失礼いたしました。ドゥアンウージエアンカン」
「発音がちがーう。アンカン」
「アンカン」
「よろしい」

やれやれ
端午節は葉っぱで巻いて蒸した餅米を食べる。ちまきだ。
これはね。

民間の人々に慕われていた英雄が上の人間に目をつけられて殺され、その遺体が川へ投げ込まれた。
魚がその英雄の遺体を啄まないように、英雄の死を悼んだ人々が、ちまきを作って川へ流したのが始まりなんですよ。美しくて悲しい話ですね。

そんな人々の思いと、繰り返される争いと、そのために犠牲になる罪もない人々に思い馳せながらちまきを食べる。食べようとする。

「これ、甘いの、しょっぱいの?」
「それは○○(息子の本名)の」

箸を伸ばしたらおばあちゃんに止められた。

「自分で鍋から出してきなさい」

ちえっ!
鍋から熱々のをだす。これは笹の葉なのかしら?

それではみなさま、素敵な週末をお過ごしください。
汪海妹

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