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汪海妹

ワンハイメイ

2019年の夏頃より小説を書いています。

一番最初は主人公たちが高校生から大学生になる頃を扱っていて、その次と次の次はそのまま彼らが親になって大人になってゆく世界を書きました。その後、そのまま作品の中に出てきた脇役を今度は主役にし、以前の主役達を脇役にするという形で、どんどん作品数も増えました。

自分の作品の中で一番読まれている作品は、木漏れ日①というもので、これはリーマンを卒業して起業する…

中_(`д´,,) ごおおおおおん

今年、私の書きました作品をお読みくださった方、
しおりくださった方、スタンプくださった方、
また、ファン登録くださった方、ありがとうございました。

<(_ _)>

今後の掲載予定です。

12月 きみどり② 第四章モナリザの微笑 掲載済
   きみどり②第五章だめだだめだと思ってもだめだ 掲載済
1月 きみどり②第六章 執筆予定

胆石の手術をして、退院したら、深圳は ゼロから方針をUターンしてものすごいことになってました。例のアレですよ、コで始まるあれ。オフィスの人が次から次へとバタバタと羊(陽性)になってゆく。

もはや私もアレだと思うんですがね、熱が出てないだけで

と思いながらデスクで粛々と仕事をしながら周りを見回す。もはや私の菌が届く範囲の人たちは欠勤しておりますから、うつしようもねえし。
ゼロからヒャクは言い過ぎかもしれねえが、ハチジュウと言ってもいいんじゃないの?おいおい。

そんな自分も先週の金曜の夜に発熱し、週末で軽く済みました。悲しいかな月曜日にはまた出勤しております。延々と支払いを済ます。延々と。そんな年度末でした。昨日の午前中まで棚卸しておりました。

たなおろしと言ってもね、全ての品物を棚から下ろす訳ではないんですよ。ほほほ。

5章を書き終わった後に不本意ではありますが、まぁ、サラリーマンですので仕事に追われ夜はコロナ対策で早めに眠っておりました。6章は1文字も書けておりませんでした。体力とご相談の上で、この正月休みのうちに手をつけられたらなと思ってます。

内容はまたこのはちゃんたちに戻ってきて、結婚式当日の様子をお父さんやお兄ちゃんも出てくる形で書けたらなと思ってます。昔ね、椿③で簡単に書いているんですが、それの書き直しです。

さまざまな問題があった上での訳ありの式の場面を、椿③を書いていた時にはじっくり書く気力がありませんでしたので、書き直し。今ならあるのかと言われると、はて、と思わないでもないですが……。

実際に、筆をとるというか、実際はIPADで書いておりますのでキーボードを押してるわけですが、その時になるまで見えてこない情景というものがあって、気力があるないというよりは、情景が浮かべば書ける。だから、今のこの時点でも書けるのかどうかよくわかりません。多分大丈夫。

だめだだめだの時も、暎さんとお兄さんが二人で洋食屋さんでご飯を食べるシーンなんて、もともとなかったんです。ただ、柾さんらしさをもう少し見せられる場面を入れたいなという思いがある中で、またもう一つ、暎さんのお母さんについて書いてなかったなと。もともとは、きみどり①の最後の方で暎さんのお母さんにはセリフが一つだけあるんです。その時浮かび上がっていた女の人と、今回実際に書くときの女の人、少し姿形が変わってしまいました。ま、こういうこともあります。

で、お母さん、お母さんと思いながら釣り上げてみたら、そのまま一緒に長男としての柾さんの様子がくっついてきて一緒に釣り上がりました。

長男ってどんなものか、そして、次男ってどんなものか。そんなことを思いながら二人のことをコツコツと書いていて、そして、

お兄ちゃーん

と、自分には姉はいても兄はいないのに書きながら思った。自分自身も妹として生まれていて、だから海妹で妹を使ってるんですが、作品を書くという作業を通して兄や姉の役を演じることもできるのかもしれないな、自分ではない人間に入り込むとでもいうのですかね。逆プロの時は、玲香ちゃんという長女の気持ちに入り込み、大いに共鳴しました。今回は長男ですかねぇ。

暎さんという人物とその設定はかなり早い段階で立てていて、で、作品を書きながら細かい部分に思い馳せているのですが、この設定からいけば暎さんはもっと破綻した人物になりかねないなというのが自分にとっての課題でして。とる道は二つ、もっと破綻した人間を書くか、なぜそこまで破綻しなかったのか理由を書く。そこで、後者を取りつつそこに兄弟愛を描きつつ思うのです。

自分にとってはここが一番大事なのですが、
本当に暎さんに起こったようなことが身に起こったら、人はどのように破綻するんだろう、或いは、破綻しないのだろう。

そういうことについてずっと考えているのです。心はどんなふうに破綻するのか。本当に破綻するのか。
カメラを使って高精度のスローモーションで肉食動物が獲物を狩るのを捕らえるような気持ちです。
心が破綻するのだとしたら、心がパリパリと音を立てて崩壊するその瞬間を言葉にしたい。

もちろんそんなことは実行してはおりません。
ただ、それができたとしたら、それは意味があるかもしれませんね。
人は生きながらにして悩みながら生きているものであり、しかし、その自分の心をうまく言葉にすることができないものです。自分自身がその薔薇のようなものから自由になるために、せっせと自分の心を言葉に置きかえて生きてきました。

横道に逸れてしまいました。

暎さん、柾さん、と二人にこんなに心を持っていかれておきながら、次はこのはちゃんたちを書く番なので、なんか段取りに問題があるような気がしないでもないですが、ま、熟成期間だと思ってね。また、このはちゃんのお父さんからチャンネルを合わせようと。

それでは今年一年、ありがとうございました。
来年は卯年ですね。
我がファミリーでは、姉と息子がダブルラビットでございます。

大晦日に妄想の中で除夜の鐘を叩きながら
汪海妹

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