ファン
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むにえな

猫に餓え渇く者は幸いである。
その者は満たされるであろう。

猫は仕えるためでなく仕えられるために来られた。
天の国は猫のような者のためにある。

私たちではなく、猫よ、私たちではなく、御名が尊まれますように。

バッハの夜

今夜はバッハのマタイ受難曲かロ短調ミサを聴いてみたいところ。深い感情のドラマチックな音楽体験をするためにマタイ受難曲を聴くのもありだけど音楽の美しさと緊張を感じるためにロ短調ミサにしてみようかな。

となると指揮はリヒターとブロムシュテットのどちらにするか迷うところだなぁ。リヒターの伝統的で荘厳な雰囲気を楽しむのもよいけど重厚な響きと厳粛さというより今日はブロムシュテットの軽やかでいて透明感のある音楽がいいかもしれない。

聴き比べた感じだとリヒターはテンポがゆったりだからカテドラルのバシリカで目をつぶって聴くのにいい感じかもしれない。ブロムシュテットの心が湧きたつような軽快さは音楽堂で指揮を見ながら聴くのにいい気がする。ブロムシュテットはドボルザークの8番を聴いたときに「金管のシャープな使い方が巧いな」と思ったけど彼が最高傑作と考える音楽はロ短調ミサらしいね。

ルーテル教会の信徒のバッハはザクセン王に自分を売り込むためにカトリックのミサ曲を書いた面もあるけれどそれは表面的なきっかけであって、このロ短調ミサを聴くと宗派なんぞに拘泥しない本質を捉えた緊張感と祈りの叫びが美しさを出しているんだなぁという気がしてくるね。トーマス教会の説教はとっくに忘れ去られているけれどバッハの音楽は時代も国も越えて伝えられているのは音楽の力という気がしてさすがに偉人は違うね。

と気の向くままに書いたけどこれを読んで「クラシックは難しそうだ」と思われて敬遠されても不本意ではあるね。私はバイオリンをやってたからこのジャンルが好きなだけで、言ってみれば「ファンサの歌ってみたは〇〇さんより××ちゃんのほうがかわいくて好き」というのと本質的には変わりない。ま、気が向いたら気楽に聴いてみると面白いかも。まあ、ロ短調ミサだとキリスト教の知識やできればラテン語の素養があったほうが楽しめる気はするのであれだが。

ところでブロムシュテットは97歳ぐらいになっていたと思うけど今でもオーケストラの指揮をしている現役の指揮者というのもすごいなぁ。

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