たかが動画されど動画、思うところあり。
物語を書かないのにブログを書いていいものかと今までは敬遠してきたのですが、自分の中でうまく消化出来ないことがあったので書いてみようと思いました。
文字にして整理しようという作戦です。
とあるようつべで(ハッキリ言っちゃってる)おすすめに出てきた動画を見ました。
外国で暮らす日本人のママさんがコロナで帰国出来ない状況下、和食が恋しくなり朝ごはんに和食を作るという動画です。
朝、家族で洋食と和食を食べる食事風景を比較していました。
素敵なママさんで、どちらも家族のためにと心のこもったメニューでした。
和食は外国で食材を手に入れるのが中々大変なので、本人はメニューに不満顔でしたが、家族はとても喜んでいましたね。国際結婚相手のパパさんからは、毎日食べたいとリクエストされて嬉しそうでした。
問題は。
私がモヤモヤしてしまったのは。
「いただきます」がなかった事です。
そんなことかい!と思うでしょうか?
洋食の食事風景を見ていた時はホントになんにも思わなかったのに、和食の朝ごはんの時、家族が全員椅子に座って、さぁ食べましょうって段階で「いただきます」がなくメチャクチャ違和感を覚えてしまったのです。
その動画ではママさんが日本の手間暇かけた朝食の素晴らしさと、それを毎朝提供してくれた自身の母親を繰り返し絶賛していただけに、「それなのに、いただきますは言わないの?」と思ってしまったのです。動画には食べ終わる部分はなかったので当然「ごちそうさまでした」もありません。
思わずコメント欄に書き込みかけましたが、コメント投稿するのはやめました。
よその、しかも外国のご家族に対して、 全く以て余計なお世話だと思ったからです。
そして私は別に「いただきます」を言うべきだと主張したかった訳でもなかったのです。
でもモヤモヤしてしまって。
いただきます。は、マナーとも違う。
自分が生きるために殺した命をいただくのだという、謝罪と感謝。
そしてそのいただいた命がきちんと成仏出来ますように、という祈り。
そこまで考えて「いただきます」と毎回言っている人は居ないと思いますし、私もそうです。
が、紐解いていくとこういう精神性のある言葉であって、それは日本人のDNAに脈々と受け継がれていて、無駄な殺生はしないという考え方にも繋がっている気がします。
生きるのに必要な分だけいただく。食物連鎖を尊重しつつ生態系をなるべく維持してゆく。
私たちは生きとし生ける物と共にあるのだと。うーん、深いです。
自分だって人様に褒められるような生き方などしていない癖に、たまたま見た動画にモヤモヤするとか、一体なんなのさ。と思います(汗)
普段はそこまで考えていないのだけれど、なんだかとても重要な事のような気がして。
日常のちょっとした事柄の中に、日本人としてのアイデンティティーが確かに息づいている。
自分はどこまでいっても、隅から隅まで日本人なのだなぁと自覚した出来事でした。
ふぅ。なんとか整理がついた気がする。
お目汚し失礼しました。
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