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汪海妹

ワンハイメイ

2019年の夏頃より小説を書いています。

一番最初は主人公たちが高校生から大学生になる頃を扱っていて、その次と次の次はそのまま彼らが親になって大人になってゆく世界を書きました。その後、そのまま作品の中に出てきた脇役を今度は主役にし、以前の主役達を脇役にするという形で、どんどん作品数も増えました。

自分の作品の中で一番読まれている作品は、木漏れ日①というもので、これはリーマンを卒業して起業する…

(*´∀`)ノおはようございます。

今週、既刊お読みくださった方、ありがとうございました。
<(_ _)>

今後の投稿予定です。

3月 短編集
   あちらでは風は逆に吹いている 執筆中 0.4万字
  いつも空を見ている④
   タイトル未定 執筆予定
4月 きみどり②
   7章 タイトル未定 執筆予定

あちらでは風は逆に吹いている タイトルが浮かんだ時に、これは昔読んだ何かやどこかで目にした別の本や漫画のタイトルの言葉なんじゃなかったっけ?という懸念があって調べてみたのですが、ちょっとわからなかった。発表するまでにはきちんと調べて断り書きを入れようかと思います。

どこかで目にした言葉遣いが綺麗だなと思って印象に残ることがあります。
(もっとも、この今回のタイトルの意味というか今回のこの短編は綺麗な話ではない)
そして、綺麗な言葉だなとみて思ったけど、そのオリジナルの漫画か本で使った意味と私の意味は多分違うのだよね。出典が朧なまま何かを小規模だとはいえ発表するというのもちょっと心許ないというのもあって、一応調べようとここに書いておきます。

3月中には書き上げたいなと思いつつ、やはりサボりが続いておりました。毎日、ちょっとずつ書く形でどうにかしたいものです。

話をここから変えてこっからはただのおしゃべり

昨日の夜息子を空手に連れてった。中学生になったので小学部を抜けて成人部へと連れて行ったのです。空手をしている息子を眺めつつ、成人クラスで大丈夫かしらと思ったけど、楽しそうだなと思い安心した。

それから二人で帰る帰り道、どっかによってご飯を食べようねと言いながら歩く。
不意に息子がこんなことを聞くのです。

「お母さん、中国で結婚しなかったらもっといろんな国へ行きたかったんでしょう?」
「ん?」
「もっといろんな国へ行っていたら、もっとすごい人生だよね?」

子供というものは、時々予測不可能な言葉を話し行動を起こす未知の存在です。

この前、塾の先生と三者面談の時に、その先生が日本人女性で独身でした。それで、先生に向かって自分は本当は中国を皮切りに日本語教師としていろいろな国を渡り歩きたかったんだと自己紹介したのです。
横で聞いていた息子がそれを覚えていて、それについて深く考えるなど思いもしてなかった。私はただ、働く独身女性と出会った時は、かつて自分が独身だった時のことを紹介しながら『私も独身の時はあなたと近い位置にいました』と示し、少しだけ今は自由ではないのが残念ですという素振りを示すのです。
この素振りは確かにそういう思いもあるので、嘘ではない。

既婚の子持ち女性と独身女性というのは表面上は問題ないのですが、立場の違いからあまり近い位置に立てない。自分はこういうところで相手と距離を詰めるのが上手いのです。心の動きを良く見る人ですからね。

ただ、それは先生に対して見せていたそぶりで、息子を目的としてはいなかった。ターゲットではない息子の心に小波を立てたのだと知った。

「うーん」

横で息子がそっと私の表情を伺いながら回答を待っている。

この子は……
まだ言葉を話せないような幼い頃から本能的に母親の様子を窺いながら、私を支えてきた子なのです。親が子を愛するだけでなく、子も親を愛していて、そして心配している。

「思うに」
「思うに?」

ベストでナイスでクリティカルな回答を、と、どうでもいいことを考えつつ、同時にまたぼんやりとこんなことを考えてました。これはあの場面に似ているなと。いつも空を見ているの②ですか、③ですか、酔っ払ったお母さんが一人で帰れないので大学生の樹くんを呼び出して二人でおしゃべりしながら帰る夜道です。

「人によりますがお母さんはそんなにパワフルな人ではないので」
「うん」
「若い頃はいいけど、そんな結婚もしない、夢はあっても不安定な仕事を転々として、年だけとった時に一人日本に帰ってたんじゃないかな?で、不安に押しつぶされそうになって不幸だったと思う」
「そうなの?」
「お父さんと結婚して、半分生活を支えてもらって安心したし、子供を産んだことで世界が広がった。いろんな人と会って話すこともできたし。仕事だけじゃないよね」
「うん」
「楽しいことばかりじゃなくて大変なこともあったけど、大変なことから逃げなかったから、お母さん成長できたと思うんだよ。お父さんも成長したしね」

息子が嬉しそうに笑った。やれやれ。

思うに、上のお喋りの続き。

ずいぶん長い間、自分が過去に選んだ選択肢が間違いだったから、今の自分がパッとしないのかな?という考えに囚われてきたように思います。そして、もしもあの時あちらを選んでいたらと空想してみる。わりと結構たくさんの人が私と同じようなことをやってると思うのですが。

そして、最近考えが変わりました。

神様はきっと右の道にも左の道にも石ころを置いている。石ころだとちょっと雰囲気ないから岩とでも言いましょうか。試練の岩。お釈迦様がどの門から出ても苦しんでいる人がいたという話の通り、生きていて楽しいことだけが起きるなんてことはあり得ない。

だから、今大変なのは、道を選ぶのに間違ったからではなく、どこを通ったって苦しいことというのはあるんだってことです。人はそこでさらに逃げるのかそれともそれを乗り越えていくのかを選ばなければならない。

大事なのは乗り越えるのに失敗すれば、自分が傷つくということです。
自分にできるのかできないのかについてよく考えなければならない。

有名な人とかそんな他人と比べて今の自分がつまらない存在に見えるなんて、それこそ、そこら中の人が抱えているありふれた悩みです。この試練を越えるには心を鍛えないと。

人生なんて自分で自分が幸せだと思った人が勝つ、シンプルなゲームなのだと思うのです。本当は。
ただ世の中は公平にできているわけではなく、人の持たされた重荷は人それぞれに違う。
自分より軽い人と比べても、重い人と比べても負ける。
そして、私としては、そんな人たちに軽々に頑張れと言いたくないし、言えないですね。

言えないかわりに自分は頑張る、のかな?
私もそんなに強いわけではなく頑張りすぎるとすぐ心の調子を落としてしまう人間ですので、
ぼちぼち、なんですかね?

世界なんて自分が世界に対して与える脚色により、何色にでも変わる仕組みでできているのだと思います。脚色力を鍛えるためには、本を読むか、或いは書くかしてみてはいかがでしょうか。

余計なお世話でした!

これから博物館に仏像とか、いろいろ見に行きます。
それではよい週末をお過ごしくださいませ。
汪海妹

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